承認欲求ドグマ

塩化ナトリウム、いわゆる塩は結晶になる。結晶になるためにこの世に生まれたわけではなく、クオークとかなんかの都合で陽子とか電子とか中性子が成立し、それが一定数集まるとナトリウムとか塩素とかの原子(核)が成立し、それが集まってエネルギー準位が低い状況で安定した構造を人は「結晶」と呼ぶわけだ。


ホモサピエンスは進化適合環境で色々進化し、それをなんていっていいのか知らないけど『欠落』『過剰』を有する心性を得たと考えている。『欠落』が補填されないと、『過剰』が解消されないと精神は不安定になる。その過剰や欠落が安定化された状態、それが200人程度の村落と大家族構成である。『高いところの葉を食べるためにキリンの首は伸びた』的な形容をするなら、小規模村落に適応するためにヒトの心性は進化した、と言える。


『個人は大家族制地域社会のなかで欠落を補填し過剰を消尽してきた*1
『大家族制の解体、企業による一億総中流国家の終焉、消費生活の蹉跌のなか、インターネットが普及した』
ブルーオーシャンで一山あてたり、ブログやSNSでの各個発信相互承認で欠落を補填し過剰を消尽できるのではないか』
『やっぱり無理だったよ…』
『ヒトは地域社会や大家族に戻るしかない』

というのはドグマではあるが、まあそんな気はしている。

*1:もちろん、抑圧も受けてきたし欲望が全て充足したともいえないが