天才論

"芸術における、「天才、プロ、アマチュアじゃんけん」の法則。"

https://note.tsunku.net/n/nc9559c0f5938

結論として、「プロ」は「天才」に勝ちます。しかし、「プロ」は「アマチュア」に負けます。そして、「アマチュア」は「天才」には勝てません。

大結論として、アマチュアが最初から世の中に忖度して、自分の作品を丸く角を取っちゃうようなことは絶対にしない方がいい。

漫画家・畑健二郎氏「すぐ連載が終わる新人は研究が足りない」

寄せるべきは“その雑誌で一番売れてる作品”のフォーマット

https://logmi.jp/business/articles/323947

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赤松健の連絡帳 2001年11月2日

しかし、まれに「天然で好きなものを描いて、しかも面白い」作家もいるようです。
これを、便宜上「ニュータイプ」と呼んでみましょう。(笑)
これに対して、「自分に無い要素を、わざわざ後付けで創作に組み入れる」作家は、「強化人間」と呼ばれます。(ゼータ以降を見てないと分からん例えだなコレ(^^;))


ニュータイプは、もともと数が少ないうえに、すぐにクセを読まれて飽きられたりするので、代表作が一作だけに終わることも多いです。しかし、その一作だけで、他の天才の卵たちを強烈にインスパイアし、その後に多大な好影響を残しますので、やっぱり業界はいつもニュータイプを欲しているのです。

強化人間は、かなりの確率で失敗しますし、やってても幸薄いんですが、投薬によって作られた強化人間は、飽きられたら別の薬を導入するため(ぉぃぉぃ)、ニュータイプよりも連続してヒットを飛ばすことさえあります。

https://kenakamatsu.tumblr.com/post/15448820163/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97%E3%81%A8%E5%BC%B7%E5%8C%96%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%8F%A4%E3%81%84%E6%97%A5%E8%A8%98

音響インターフェイス更改

「オーディオインターフェイス」っていうと、ファンタム電源つきXLRマイク端子のついたPA用のものとなり、単なるオーディオ向けは(DAC内蔵)アンプとか、(アンプ内蔵)DACとか呼ばれるようだ。


某社DACが不安定なので、大枚をはたいてTopping のDACとHPAを購入してしばらく使っていた。って言っても一万円程度のものだが。
その後、今回、ZOOMだとか用に「オーディオインターフェイス」を買ったが、よく見るとこれでもラインアウトはあるし、ヘッドフォン端子はあるし、聴いてみるとこれでええか感はある。


一万円ちょっとのブツだが、特段問題なく聞こえる。ので、Topping のDACとHPAは退役に。そのHPA、結構デカイACアダプタ添付されたそれなりのなんだけどね(でも一万円程度)。
現在のAIはUSB給電。

うっせぇわ

に対して、なにかコメントするほど強い情動は沸いてこなかった。
「このくらいの若者が好みそうな歌であり、絵柄だなあ」
と感じたが。


さて、よく引き合いに出されるのが
尾崎豊 1965誕生。


1983 デビューバルバム 17歳の地図、同名シングル
"17歳の地図"では
「口うるさい 大人たちの ルーズな生活に縛られても」
と大人批判めいた歌詞を書いているが、直後の歌詞
「電車の中 押し合う人の背中に いくつもの ドラマを感じて」
「親の背中に ひたむきさを感じて」
と一定の理解を示してはいる。


二年後に発表された
Driving All Night 1985
「街のドラッグにいかれて 俺の体はぶくぶく太りはじめた」
と、もう反抗し、バイクで走り出す若者ではなくルーズな生活の大人に仲間入りである(まだ20歳で太ってはいない頃だが)。





…そういえば、このころって、「反」〇〇、「非」〇〇、「脱」〇〇とかそういうスタンスを変えたり、「あえて」と言ってプロレスを称揚したり、パラノイアからスキゾキッズという新人類が逃走する新人類がポストモダン動物化する時代だったっけ?

温度差のある音頭さ

えー、午前中に窓口で窓口対応を行い故障品を見て見積もりを提示し、午後に作業場で実作業をやる、そんな仕事と思ってくれ。たとえ話だ。
カラオケボックスの予約なら、予約時間が終わったら「三時間です延長はできませんまたのご利用お待ちしております。」で済むかもしれないが、修理はそういうわけにはなかなかいかない。
「三時間過ぎました。治ってないけど延長はできませんまたのご利用お待ちしております。」
で通ることってあまりない。


「窓口対応」の予約を取ってもらい、そんで時間その他の見積もりを提示し、それから実作業に入る。


で、「窓口対応」の予約を取得してもらうとき、電話応対者に「予約は面談予約のみで実作業の予約ではない」旨説明してもらうよう話しているが、これが全く励行されていない。
客が、「〇月△日、10時に伺ってよろしいですか?」って言うと、「(えーと、スケジュール表を見ると、窓口枠が空いてるからOKやな)はい、大丈夫です、予約取ります」って答えて、ほんで客は〇月△日、10時にやってきて「電話で大丈夫っていうから来たで。車検たのむわ」
で、ぎえー! ブース空いてないよ… ってオチになる。


応対者は「私は車検やりますとも何とも約束していないのだから、責任ないもんね~」っていうスタンスで、客は「できないとは聞いてない」っていうスタンス。
嫌がらせのように、説明文と空欄を書き込んだ応対用紙作るしかないのか…

雑記

Web小説読んでる

たとえば、こんな構成なわけ。
 [特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][日常][日常][日常][回想][回想][試合][試合][試合][試合]

べつに、「特訓が長い。主人公は特訓せずに強敵の前に敗北すべきである」とも「特訓が長い。主人公は最初からチートでハーレムでないと」とも言いたいわけじゃない。
でも、もうちっと順番に工夫はできないものか…


エビでんす

 いやよくしらないけどね。



 胃がんとか、乳がんとか、そういう癌があったとする。手術で取るんだけど、原発巣を取ってもリンパ節から再発したりするわけ。「原発巣を取っても、リンパ節から再発する。じゃあ、所属リンパ節も取ろう」。そうやって、沢山リンパ節を取れば長生きする… と思いきや、統計を取ると、そういうわけでもない。沢山取れば取るほど、手術の負担が増えるので結果命を縮めることになる。技術の進歩なんかもあって、結局、ある程度の手術と化学療法、放射線療法が「今の水準では」一番いいって話に落ち着いている。


 血圧とかそういう「数値」、異常値より正常値のがいい。そうやって、数値を正常値に保てば長生きする… と思いきや、統計を取ると、そういうわけでもない。何万例とか調査すると、ある値を下げある合併症を減らすが別の病気が増えたりすることがないわけではない(※仮想的な話です)。血圧が下がって脳出血の頻度が下がったが心臓の働きが下がって心不全が増えたとか。



 ミクロな、個別の、短期間での「アウトカム」についてはEBMの昔から経験則で分かっていたりするが、そうでない場合は普通の人間の認知力を超えるので、個別のメカニズム論と統計は車軸の両輪。

雑記

Web小説読んでる

たとえば、こんな構成なわけ。
 [特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][特訓][日常][日常][日常][回想][回想][試合][試合][試合][試合]

べつに、「特訓が長い。主人公は特訓せずに強敵の前に敗北すべきである」とも「特訓が長い。主人公は最初からチートでハーレムでないと」とも言いたいわけじゃない。
でも、もうちっと順番に工夫はできないものか…