「弱い努力」と「強い努力」

ある到達目標は、行動目標に分解され、行動目標を達成することで、到達目標が達成できる。とイイナ。と思われている。
実施可能なことが行動目標とすることが期待され、それを完遂することが「弱い努力」と呼ぼう。いまだけ。
そのプロセスを飛ばし、到達目標を達成した場合に行われた努力を、遡及的に「強い努力」と呼ぶ。いまだけ。


例えば、えーと、スポーツの勝率を上げる、という究極目標の部分目標として、「脚力を上げる」、指標として100m走のタイムを短縮する、という到達目標を想定する。そのための行動目標として、「毎日、n分走る」という目標を設定する。これは、「弱い努力」で実行可能であり、実行できない場合は(達成度によっては)努力不足と言われるかもしれない*1。当然、「弱い努力」を実行したからといって、「脚力の上昇」は保証されないし、勝率についてはいわずもがな、だけど。


特にオチは無い。
「強い努力」を要求されると、されたほうは困るし、「弱い努力」すら否定されると、要求したほうは困るという、そんな話。

*1:もちろん、努力すれば一日に25時間走れるわけではない。