勉強する訳

http://www.hatena.ne.jp/1124539258

【どうして勉強しなきゃいけないの?】学習塾で助手をしているのですが、小学一年生の女の子から先日ついに「どうして勉強しなきゃいけないの?」という問いを投げかけられました。

将来私も人の親になるのだろうし、自分も相手も十二分に納得できる答えとは何なのだろうと改めて思います。

どうして勉強しなければいけないのですか?

・学歴社会を勝ち抜くため

・大人になって社会で働くときに困らないため

・自分の興味・趣味嗜好を存分に追求できるように

系は間に合っていますので、何か、もっと深く納得できてかつ平易な(こどもに説いて聞かせることが可能な)論があればご教授願いたいです。

 メタな答えを一つ。
・そんな質問をするような貴方だから、勉強が必要なのよ

 さらに一つ。
・この質問は、勉強する必要がある、という前提のもとに提起されているけれど、この前提は自明のものなのかな。納得という言葉も定義されているのか?

 勉強する理由は簡単で、日本人は「この」システムの中で生きていて、構成員にはシステムからサービスを提供する代わりに、システム維持に貢献するよう要請するからだ。一定の義務を課し、精神的な求心力を維持しないと、システムは崩壊する。多くの人間はそれを避けるために*1、ある程度義務の存在を容認する。より一層勉強すれば、システムの中の上のほうに入れる、という風潮もあったけど、それはまあ、一部の出来事。


 そして、システムが発達すると、システムの構築維持運営より、そこから外れたところの方が幸せだったり。
・勉強をして学力をつけて社会の(情報)インフラ作りに日夜活躍し、2chでの書き込みやBlogでの政治談議に精を出す組
 と
・勉強しないで盗んだバイクで走り出してなにから卒業するのかわからないまま、女の子から大金を受け取り続けるイケメンDQNなホスト組
 と、どちらが幸せかを考えるとね。

*1:正確に言えば、殆どの人間は考えていない

"納得"

 "納得"する以前には、納得していない状態があって、それは、案件が思想に合致していない、小学校1年レベルで言えば、欲求に逆らっている状態を指す。"納得"を目指すには、
・短期的には欲求と合致しないが、長期的には欲求を最適化する
 ことを教える、
・案件を分解し、欲求と噛みあうところまで後退する
 端的に言えば、知識欲(好奇心)、達成欲、承認欲求、そういうところまで戻る

 この二通りの道があるだろう。

COMIC新現実 vol.1

 尼で纏め売りをしていたので購入。

 みなもと太郎氏のインタビューが秀逸。漫画界の巨人達も、ゼロから偉大な作品を作り上げたわけではなく、先行する作品、影響を受けた芸術があった、ということを同時代の氏が語る。
 他に、大塚氏と久保氏(ブリッコの編集とレモンピープルの編集)が、シベールの話をしたり。シベールという同人誌(?)があのへんの流れのもとらしいのだが、単語を見たことがある程度。
 
 いやまさに、同窓会といった雑誌。

COMIC新現実 vol.2

 忘却の旋律、の評論を読む。このアニメも、平成鉄人も視聴していないので、かなりもどかしい。概ね議論はNCP節なので、作品個別な部分はすっ飛ばす。虚構の楽園からの決別に矢を射るという構図に、水月を連想する。マヨイガ近辺には雪さんとななみんが存在し、微妙に位相が異なり、一緒くたにするのは不当かもしれないが、マヨイガで雪さんとラブラブという展開が一番かな。わはーもいいけど。
 ディエン・ビエン・フー。ベトナムの「独立」戦争の激戦区。このお話は、南ベトナム政府にアメリカが介入した後のお話。
 かがみあきら、アシのインタビュー。知らない名前だらけ。今の若い人が、ちょっと前のオタ話を聞くと、こんな印象をうけるのだろう。少女漫画の流れが、かがみあきらを経由して、少年漫画方面に流れてきた、と。わかつきめぐみの絵を、かがみあきらが参考にした話はちょっと驚き。
 最後の広告。エース桃組、七尾奈留氏のイラストが、毛色が違いすぎて違和感を感じまくって可笑しい。同じ出版社の同じマンガ雑誌なのに。文芸春秋に萌えイラストが登場したかのようだ。

"萌え"と"好き"

 好き、という言葉には、「自分が」という主体が必要だが、萌え、という言葉は「自分が」という主体が不必要で、客体のみで完結する、という指摘があり、さもありなんと思う。同様に、(あるキャラクターの)(好感度などを上げて)分岐させる、ではなく、フラグが立つ、という言い方、(自分が)闘志を燃やす、じゃなくて、燃える、という言い方、どれも、上手に主体性を放棄し、客体内部で記述を完結させる便利な言い方だ。始めると始まる、起きると起こる、この位同じで違う言葉だと思っている。

"オタク専門学校"

http://www.246.ne.jp/~supercar/otasen.html
オタクファッション風刺。
おたく、もしくはオタクという種族名がつく前に、典型的なアニメファン像というものを雑誌で見かけた覚えがある。えー、長い髪、銀縁眼鏡、Gパンにトレーナー、アニメ絵の紙袋。"オタ"自意識のハシリだったのかな。

ヲタと成長

 ヲタ論を煮詰めると、最後に現れるのがコレ。いわゆるラスボス。実は、この先に、成長を否認した国家のあり方という神がいて、こちらに立ち向かおうとすると、喝采を浴びせた市民が神殺しといって石を投げる罠。さて、ヲタと成長といえば、香山仮説を思い出す。それは、
・努力を積み、成功を手に入れるプロセスをRPG追体験することで、現実に適応できない少年に、現実で生きる力を与えられないか
 というもの。この仮説の正否は、例示するまでもないだろう。香山仮説が脚光を浴びることは無かった。仮想現実内での行動が、ゲームデザイナーの暖かい眼差しに支えられている限り、プレイヤーの成長に結びつかないのではないか、というコメントを見たことがある。創作内で成長を描くことと、それを自分の物として取り入れること、この間には一定の困難さがあるようだ。

反語表現

htt://www7.plala.or.jp/adis/diary/c/jiko.html#etc

  1. ヒロインが死んだ。こういう病気が原因でこういう手術を行った末にこういう死に方をした。
  1. そのときたとえば、エロゲーマーたちはヒロインの死よりも深く、その死因に傷つくだろうか?

こういう死に方だけはしたくない、と思える死因がいくつかある。第一に挙がるのは溺死。
溺死──それは一般的に最も苦しいとされる死に方。
(後略)

  1. またたとえば、エロゲーマーたちはヒロインの病気よりも深く、それが残した傷痕に傷つく

だろうか?
(中略)

  1. それとも、エロゲーマーたちの中ではもはやヒロインの死という事象を記号化してしまって

いるのだろうか?

 別に、エロゲマに限らず、人は外部を記号化して認識していると思われ。

・今までに食べたパンの数を覚えているか?
・ツナは、缶詰が海の中を泳いでいると思っていないか?
・石油は、どこからやってくるか知っているか?
・心臓移植の美談が流れるが、その心臓はどっから来たんだ?
・カルビが、タンが、ハラミが、そしてホルモンが何だか分かっているか?
・首吊りを、飛び降りを、その末路を見たことがあるのか?リスカは?
・死とか病気とか、多くの萌えコンテンツでは(それ以外でも)ONかOFFかのデジタルなものとして描かれている(ために、魂のやり取りで容易に復活する)が、そのようなものばかりではない。難病の末期、やせ衰えたヒロインを無理矢理抱くような、イヤなコンテンツはあんまり知らない。少なくとも、グラフィック上に表されることはなかったと思う。
 
==== 
 開心術を行った、お下げなヒロインの胸に残る痕、XPが進行したヒロインの全身に発生した腫瘍、そういうものを誰が想像するだろうか。いや、単なる線として矮小化された痕など、実体を反映するどころか、単なるアクセサリーとして機能しているではないのか。


 ということで、エロゲヒロインは身体性も、内面も少ししか持たない記号であって、その強度を維持するため、萌え要素とか内面(とかトラウマ)を注入しているのだ。傷も、死因も、単なるプロパティーで、それ以上でもそれ以下でもない。エロゲヒロインにとって、不幸とは物語の中断であって、だれか別のヒロインのルートに突入し、シナリオから排除されたとき、彼女の存在は潰える。ヒロインの結末(死を含む)が明示されないまま、主人公が舞台から退場する、これがゲームオーバーで、プレイヤーにとっては最悪の結末。それに比べれば、死も痕も、たいした問題とはならない*1

追記。反応どうもです。
面白ければいいのか、という問いには、
・面白ければいい(感動できれば、笑えれば、泣ければ)
という答えを正面に持ってきます。
でも、
・現実とリンクさせ、現実を誤解させるような描写は、可能であれば避けて欲しい*2
のと、
・フィクションなので、シナリオの要請はリアリティーに優先するけど、それでも深みのある演出をして欲しい
と要望しておきます。

*1:勿論、これは一般論で、作品に少しでも深く関わると、こういう態度に違和感を感じる。主人公が選ばなかったヒロインは、生きているのか死んでいるのか。観測者問題に踏み込むことになる

*2:たとえば、予防接種は無意味だと叫んだり

作品論

htt://www7.plala.or.jp/adis/diary/d081105.html#d18-2
 ある作家がこういったらしい。

『ただ読むだけ、ただ頷くだけ、というのが、読者として最も好ましい姿だ』

 それより、別の作家の言葉を押したい。原文を覚えていないし、場所も忘れたが、読んだ100人が100人とも違う読み方が出来る作品を書きたい、そんな趣旨。

comic 新現実 vol.3

特集の一部だけ読む。
 吾妻ひでおインタビューが秀逸。美少女同人誌の原点、シベールが、コミケで勢力を伸ばしていた、やおい同人誌への対抗だった、という証言が面白い。やおい、ってキャプ翼以後だと思っていたもので。

 みなもと太郎インタビュー。

 ヲタクの街、ヲタシティー。カーテンウオールの、高層ビルが立ち並ぶ近代都市だ。それを見上げて、大塚英志、この街を発展させたのは俺達だ、と息巻く。ちっちゃな町に、鉄道を敷いて、資本を入れて、あの頃はまだレンガ造りの建物だったな。でも、この地に町を作ったのは先生でしたね。吾妻ひでおは言う。あっちの街から逃げて、向こうの街へ逃げ込んで、ちょうどこのあたりにあったここが、住み心地がよかったんだ。仲間と町を作って、そして、いまは、ガス工事をしている、と。そこへやってきてみなもと太郎。俺が最初にここに来たとき、なにもない野原だったぞ、ここは。小奇麗になって、住みづらくなったもんだな。
 そんな彼らを尻目に、ヲタシティーでは今日も萌え要素を求め人々が交錯する、のだった。 

読書など。

 軍事研究。
 最新鋭、ストライカー旅団、その中核となるストライカー装甲車の大活躍が描かれている。車内にいながらにして、戦場の状況が把握できるモニター。モノクロ画面なため、都市部ではなにがなんだかよく分からないらしい。また、自軍と敵軍の位置をマッピングし、戦況を認識する情報システム。処理が遅く、ちょっと敵が増えると追いつかないらしい。画面の処理落ちに比例して、敵の行動も遅くなるといいのだが、そうなるかどうかは記されていない。まさか、敵が4人並ぶとちらつくとか、そんなシステムなのかな。あんまり処理が重くなると、画面が止まるとか。まさか、戦争やっている最中に、ブルースクリーンは出ないよな。
 浸透戦術の紹介。銃剣突撃を基本とした軍隊が、機銃を装備した軍隊に痛い目にあった話が紹介されていた。前者が露西亜軍、後者が日本軍。日露戦争の頃のお話。