私たちは、なぜ科学を選ぶのか。
科学技術の進展は、やがて人々から科学(的思考)の必要性を失わせることになるという(Shamos,Morris H."The Myth of Scientific Literacy")。テレビであれ携帯電話であれ、またコンピュータでさえも私たちはその仕組み、システムを知らなくても使いこなすことができる。その仕組みやシステムを考えなくても、それらは使われることによって私たちにベネフィットを提供する。科学(的思考)は、そうした技術および技術の産物にとってはむしろじゃまである。観念である科学は、十分にいきわたった時、観念であることを忘れさせるだろう。
http://www.dan21.com/backnumber/no69/editorsafter_main.html
えーと、タイムスリップで、過去(のような)に出かけた主人公が、現代の技術で大活躍、という話があるが、アーサー王宮殿のヤンキーとか、今、そうなると。
- え?火を起こすのにそんなことやってるの。莫迦だなぁ。IHヒーターどこ?
- そんな水飲んでるの?汚いなぁ。PETボトル飲めよコンビニどこ?
- 手紙を足で運んでいるの?遅いなぁ。光ケーブルどこ?
- そんなことも知らないの?ネット端末どこ?
と、なりそう。
古典的なテレビの垂直同期に水平同期、電話のAM・FM・PCMという話もどこへやら、圧縮と復号の話だけだし。
裕福でないと大学へ行けない?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/odz/20070825/1188043605
んー、大学進学を、選抜試験的に捉えるか、資格試験的に捉えるか、で、話は変わってくると思う。どこでもいいから大学に入学し、卒業する、というパスは割合緩いし、国公立に限定すると、ちょっとだけ厳しいかも。むかしどこかであった、国立大生かな、サークル活動とアルバイトが忙しくて、勉強する時間が無い、という意見を支持するなら、確かに裕福でないと大学へいけないね。
穴埋め問題
非常につらいことではあるが、[ ]を楽しめる人たちと自分の間にはものすごく深く暗いコミュニケーションギャップが口を開けているような気がする。そしてこのギャップを乗り越えることは、たぶんできないように思う。
http://d.hatena.ne.jp/atutake/20070510/1178788461
(一部改変)
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