トーマス式因果関係

http://d.hatena.ne.jp/ROYGB/20080209/science
http://d.hatena.ne.jp/REV/20070926/p6

 日常的に、人は、以下のように考えているのではないか。
 顔のついた何か、つまり、誰か人間や、動物、昆虫が意思を持って行動し、その行動により結果が生じる。顔のついた何かは、結果について責任がある。
 たぶん、カンブリア爆発以後、眼を備えた地球上の生命体は、そう思っているのではないか。
 ネズミにとって、こちらを向いたキツネは、俺を食べようとしているのだなと思っている、と思っているのではないか*1。もちろん、ある種の宇宙人にとっては、莫大な分子がふよふよしているのが見えるだけかもしれない。我々がキツネと呼ぶなにかは、呼吸と共に空気中の酸素分子を出し入れし、その宇宙人にとっては個体の境界が不明瞭だったりするかもしれない。
 さて、出来事は神様のせいだ。という神様はニーチェが虐殺し、それは科学のせいになった。雷は、雷さまじゃなくて電気様だ。地震は、なまずじゃなくてプレート様だ。このくらいならいいのだ。そして、コレラは、死神じゃなくて、コレラ菌だ。ここまでならいい。いくつもの要素が関わった出来事であれば、これらのような、顔のついた何かに因果関係を転嫁できない。それを、単純な因果関係は成立しません、で済まされないのが人間の脳で、どこかに顔のついた何かを探す。すると、たいがい、妙なものが降りてくる。

*1:いや、機能主義的説明は面倒