不快認定したブロガーが書くことはなんでもかんでも悪い

不快認定したブロガーが書くことはなんでもかんでも悪いんだと手抜きをして決め付けているが、手抜きの作業自体が自明でない。



第一段階 不快に感じるエントリー → 全人格否定 → 全エントリー否定 

第二段階 不快なエントリーをぶくまする人 → 不快感を共有できない → ぶくまする人の人格否定 → ぶくまする人のエントリー全否定



嫌いなものはなんでもかんでも嫌いなんだという謎の思考連鎖。美意識は自分の心には響かないものだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20070624062022

 論理的に無意味(と、私が思っている)論法に、[ジャングルは地獄][不良少女白書]、高い倫理基準の恣意的適応、なんかがある。
 あなたが逃げるのは、後ろ暗いところがあるからだ。つまり、あなたはべトコンだ。逃げなければ、あなたが逃げないのは、訓練された証拠だ。つまりあなたは、べトコンだ。聴いた人間は、0.2秒で欺瞞だと思う、と思う。が、反証を論理的に行うのは難しい。7.62弾を前に、論理学の講義から始めるのか。
 二分法を持ってくる人間も厄介だ。白か黒かを迫る人は、恣意的に境界を設定し、どちらかへの同調を要請する。逆に、白と黒の「厳密」な境界を証明してみろ。できなければ、白と黒の違いは無い。という論法を使う人もいる。グレースケールの画像を作っておくと便利。未成年の飲酒を擁護するために、「19歳と20歳で、どれだけ身体に違いがあるのか?」という論法を持ち出してきた人を思い出す。そういう人に、線引きの妥当性とその限界、を語っても意味が薄そう。
 高い倫理基準の恣意的適応、も始末が悪い。前に書いた通り。他人を助けましょう。Blogにはいい記事を書きましょう。批判は難しい*1。良いことは良い。そう提唱して、お前は間接的殺人犯だ。質の低いサイト、ブックマークは消えてしまえ、と、ネガティブなポリシーをブロードキャストする。または、恣意的な人間に適用し、倫理基準を満たしていない、と非難する。ここで、自分も範囲に入れておいて、恣意的という非難から一旦逃れ、文句を言った人間を自虐力不足、と、さらに非難することが出来る。


 …また釣られたかな。

*1:良く使う、書き間違い(じゃなかったりするけど)を公文書の虚偽申請、集会時に駐車禁止で引っ張る、なんかもそうか