規範ベースの議論、人格ベースの議論

http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070623/p1


 文字列の優劣を競うのを、虚飾とかなんとかかんとかアルファブロガーウザイとかいって、人格ベースの議論にすると、否定されるのは文字列じゃなくて人格になるので、人によっては寂しいとおもうんだけど。


 あと、厳格な規範の恣意的適用、という問題があるので、特に高潔な倫理を叫ぶ人はその言動が気になる。
 例えば、200円募金をしない人間は間接的殺人者、という理論を提唱するなら、特定の人物、集団を「間接的殺人者」とラベル付けすることができる。ついでに、不快感を示した人を自虐力不足と嘲笑できるし。もし、提唱者が、自分だけでなく、家族にも部下にも上司にも、「間接的殺人者」とラベルし、不快感を示した人を自虐力不足と形容できるなら、そういう思想なんだな、と思う。そうでなければ、他人の心を動かすための、アドホックな規範と区別がつかないと思う。「留保の無い生の肯定」も、お前は俺を肯定しろ、俺はお前を肯定しないがな、というのであれば、単に敵叩きのツールに過ぎないと考える。麻袋にデカルトの本やら宗教書を詰めて、縄で縛って殴り合い。