とかく世界は釣堀だらけ

http://macska.org/article/138#comment-7787

まぁそういうわけで、いきなり「Gender Trouble」を読ませたら本当に「CでなくBだ」と思い込んでしまう学生がいたりして、それはその学生ではなくバトラーが悪いとつくづくわたしも思うわけですが、当人が「真意は『CだけでなくB」であり、あまりにもCが当たり前だと受け入れられているから逆にBを強調する必要があると思った」と言うのを文字通り受け入れて、そういう意味なのだとわたしは解釈しています。--http://macska.org/article/138#comment-7787

それを論文にして科学誌に提出したところ、ほとんど出版が決まりかかったところでリビュアーの一人からクレーム。それはなんと「これはソーカルの真似かもしれないから気をつけろ」というもの。つまりそのリビュアーは、この調査自体がでっち上げで、あとから「学術誌はリベラルだから女性や少数民族が差別されているという内容だときちんと精読せずに出版している」と暴露したいがために提出されたのではないか、と疑った様子。

 学問の世界も釣りが横行している様子。
 ジェンダーも釣りなのかしら。
 真面目に考えると、最後にプギャー、と笑われるのね。
 遺伝子が、環構造だけでなく、二重螺旋という形式が発生して以来、減数分裂によって得られた配偶子(?)をどうやって接合するか、このあたりから「ジェンダー」でいうところの「性」の萌芽が始まり、子宮というものを持たざるを得ない、哺乳類で「ジェンダー」でいうところの「性」の固定が始まった。進化論的に、一妻一夫な動物、一夫多妻な動物、乱婚な動物種が存在し、新石器時代にヒト、という種が固定し、このへんから、「ジェンダー」でいうところの「性」になるのかな。生活様式によって性生活が選択され、それがヒトという種の認識、知覚、感情の源泉になっている。そこからさらに、文化によってジェンダーが上乗せされているような雰囲気。
とか考えてしまうのが、安い魚の証拠なんだろうな。