家族

http://anond.hatelabo.jp/20070111133300

総論としては、家族はやはり良いものだ。ヒトは生物としては群れ生活をする性質を持っているし、幼生の期間が長いため、子孫を残す手段としては、幼生を守るための集団単位を必要とする。その最小単位が家族なので、家族という集団の概念そのものには良悪はなく、むしろ種の存続のためには必須であると考えると、良いものと考えられる。


各論としては、当然、現実の家族のあり方や家族内での個々の関係性によって、各個体にとっての良悪は変化する。だが、少なくとも、ある家族における問題が別の家族に直接影響することはない。各個体(個人)にとって判断できるのは、自分自身の家族の良悪だけだろう。


従って、無条件の意味するところによるが、個々の家族での問題という条件を除くと、家族という集団概念自体は良いものだと考えていいのではないか。

 高等(とされる)動物は、成熟までに長い期間、保護する主体を必要とする。
 自分の遺伝子を持たない幼生をも保護する仕様の種は、そのうち消滅しただろうし、自分の遺伝子を持った幼生すら保護しない種も、消滅しただろう。ある種の人間*1を除いて、遺伝子を目で見て確認することは出来ないので、刷り込みとかにおいとか、そういうもので「身内」の「幼生」を保護するように、高等(っぽい)動物の実装は改変されてきたものと思われる。


 つまり、ヒトという生物種は、幼生を保護するという究極目標を達成するために、保護欲とか、寂しさとか、承認欲求とか、スキンシップとか、そういう小さな実装がなされていて、苦しいから息をするとか、お腹が空いたから食べ物を探すとか、そういうものの延長として、家族をつくってきたのだと思う。良悪じゃなくて、遺伝子の実装によって、見合った集団を形成し、それが環境に適合していればその集団は存続し、そうでなければその遺伝子は途絶える。良悪じゃないね。


 そんな経緯で、ヒトは、一定のメッセージを誰かに与え、一定のメッセージを与えられないと、不快感が溜まるような実装になっている、と思う。それを解消するために、最適なソリューションが「家族」なんじゃないかな*2


 なかなか、ストレスフリーな他の個体からのアテンション、他の個体とのインタラクションが取りづらい今日この頃、Wiiを通じることでそれが手に入る、というのは良い宣伝だとは思う。



 と、長くなったけど、要するにこれって、
 食事の良悪を問うようなものか。良悪もなく、不足するとお腹が減る。進化論や人類学を出すまでもなく、そういうもの。
 家族もそう。交流欲、承認欲、保護欲、がある。から、家族を作る。
 「交流欲、承認欲、保護欲」がある人に、Wiiを提案する。良悪じゃないね。やっぱり。


 しかしまあ、「交流欲、承認欲、保護欲」を喚起するCMに疑義を投げかける文章を、「交流欲、承認欲」を低コスト、低リスクで実現できる場所にアップロードするというのは面白い。

*1:柚たん@ASTRAL

*2:勿論、「家族」を持たないと、一人前の男として認められない、とかなんとか、な話もあるけど、それはマスロー的に高位のお話として除外しておく