戦力を保持する意味

http://d.hatena.ne.jp/claw/20051117

そう、極言すれば、達成目標とコスト/ベネフィットについてのリアルな認識があるかどうかだ。この感覚に欠けていたからこそ、さきの大戦で大日本帝国は「戦争を開始/継続するかどうか」の判断も誤り、「戦争のヤメ時」も見出せず、ずるずると徹底的な敗北を喫して滅亡するはめになった。この感覚に欠けている人間だけが、「日本が攻められたら何もしないのか」などという、想像力の欠落した質問をとばすことができる。そもそも、そういう粗雑な人間は戦争をするのには向いていない。いったい何に向いているのかは、わからないが・・・。

 えーと、戦争というか世界というかは、加減乗除と平均値で出来ているのではない。もしそんなリアルな認識があったら、ギャンブラーは競馬場にいって窓口で100円払って、テラ銭抜いた75円その場で貰って帰るし、サッカーはチームの戦力を数値化し、賞金を戦力比で分配しておしまい。コスト/ベネフィットについての認識は、個人や国家によって違う。ぶっちゃけ、あの時代のその辺の人は、儲けはボクの儲け、死んだら何とか神社へ行くだけだからボクのポケットは傷まないや。と、リアルな認識をしていたわけだ。
 と、話は飛んだが、実際のところ、政治も外交も世界もゲーム的、確率論的だ。自分が好戦的という札を出し、相手が厭戦の札を出せば、一方的に利益を得られる。厭戦厭戦なら、両者ともまぁまぁ。好戦と好戦なら、いわずもがなの結果。
 で、相手にとっての最善手を仮想し、それを期待するのは、ちょっと不安。「戦争はコスト/ベネフィットが悪い」として(まあ、事実そうなのだが)、軍事というカードを捨てると、相手に軍事行動というカードを魅力的に見せることになる。正邪を問わないけれど、クエート侵攻と、フォークランド侵攻はそのように起きた。一定の規模の軍隊の保持は、軍事行動を抑止する効果がある。日本の場合、まあ、一個師団程度の機甲師団なら撃退できそうなので、日本に侵攻するなら、船団をこのくらい集めて、事前の空爆はこのくらいで、と計算しなくちゃいけない。そのカードが集まらなければ、侵攻を思いとどめる、といいな、というのが戦力の意味。
 相手がなんらかの政治目標を達成しようと思わなければ、軍事行動を起こさないだろうし、そうであれば放置しておけばいい。相手が軍事行動を起こそうとした場合、すくなくとも一個師団程度であれば撃退が可能かもしれない。一個師団が上陸しちゃったらわかんない。撃退不能であれば、まあ考えよう。もし、戦力がなければ、相手は一個中隊、いや、巡洋艦でやってきて、政治目標を叫ぶかもしれない。
 勿論、戦争放棄は無意味だと思うけど、相互の戦力の放棄は実現可能なので、みんな頑張ってほしい。相互検証下の軍事力の削減は、経済的にも良いし。
 

まとめ:
戦力というカードを、双方が選ぶと戦争になる。
戦力というカードを、相手が見せて、自分が見せられないと、自分のカードは無効になる。経済制裁とかなんとか。もっとも無意味なカードの名が、正義とか倫理とか。
戦力というカードを、お互い捨てるのが一番だけれど、自分が持っていないと、なかなか捨ててくれない。
経済力がある限り、戦力は簡単に保有できるので、そのへんは相互検証が必要だろう。


追記:偉そうなこと言うね。
 石油の分配が現代世界の要であって、石油(と通貨と食料)の配分がイマイチな国は、それをなんとかするために軍事行動に出る可能性がある。それは国内的にも、国際的な観点でも。あとは宗教や民族問題による、分離主義者とそのカウンター。日本は石油が欲しいから、アメリカに追従していると考える。じゃあ、追従をやめるなら?日本から産油国までの航路の安全と、産油国の安全を、自前で保障しないとね。
 で、白燐弾問題。どうみてもベトナムです。白燐だから悪くて、自動小銃弾ならいいのか、という問題じゃなくて、もちろん両方悪い。そろそろアメリカ人も、誰が敵で誰が味方か分からなくなってきて、敵を倒すために小銃を撃つのではなく、自分以外の誰かを倒すために、「焼却」を始めたのかなと思う。そう、軍事的な敵じゃなくて、不安の対象。もう、閉所で動いている物を見ると、照明弾を打ち込んで焼き尽くさないと安心できない状況なのかな。