論理的という言葉が嫌い

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060603#p1

僕はこの「論理的」という言葉と、それを億面もなく使う人が嫌いです。--http://d.hatena.ne.jp/fujipon/

 形式論理学は、どんなときでも絶対的に正しい*1。でも、現実の何かを言葉に落とし込んで、なんらかの論理系や倫理系と共に形式論理学を適用し、そしてそれを現実の問題に復帰させるときに、莫大な誤差が出る。臆面も無く「論理的」という言葉を使う人間は、この誤差に自覚的で無いというか、それを無視した詐欺師というか。

実は、「意見表明」のキーポイントって、この「論理的」の部分を、どう周囲の人にわかりやすい形で伝えるか、なのです。「どういうプロセスで、その結論にたどり着いたのか?」こそ、「語るべきこと」のはず。

証拠も示さずに科学的、を連呼する人も似たようなものというか。

*1:と、私は思う。形式論理学が嫌いな人は、1000円で120円の飲料を買ったお釣りが幾らになるのか、一生考え続けると楽しいと思う

2chまとめサイトツクール

http://contents-factory.net/remix2ch/

remix2chに、スレッド内のレスを取捨選択して2ちゃんねるまとめページをボタン一発で生成できる機能をつけた。これで当初考えていた「まとめの自動化」ということが完全にできるようになったと思う。

まとめページを作成する際に、編集者が自由に自分のアソシエイトIDを指定でき、商品内容もスレッドを自動的に簡易形態素解析して引っ張ってくる。

「フラットキャラクター/ラウンドキャラクター」

http://d.hatena.ne.jp/boxman/20060604#p1

 「フラットキャラクター/ラウンドキャラクター」というのはイギリスの小説家E・M・フォスターが文芸理論書『小説の諸相(Aspects of the Novel)』のなかで提唱した概念で、フラットキャラクターとは小説中で平面的なある種の類型(Types)として描かれる人物像、ラウンドキャラクターとは立体的な劇中の事件に伴って内面的な変化を見せるような人物像である。

 つまり、私の考えでは伊藤の「キャラ/キャラクター」分割は

      シンボリズム    フェティシズム

     (意味)              (図像)

   フラットキャラクター           キャラ

   ラウンドキャラクター       キャラクター

              (内面)

といった3極を持ったモデルで理解したほうが妥当なのではないかと思う。--http://d.hatena.ne.jp/boxman/20060604#p1

その返答

しかし、たとえば「意味」と「図像」をきれいに二項対立させることについては、ぼくはあまり賛成できないのです。それはまさに「シンボル」と「イメージ」の二項対立に他ならず、それだけではとらえきれないのが「キャラ」という存在だと考えているからなのですね。テヅカイズで、インデックス/アイコン/シンボルと分けるパースの記号学を参照しなかったのも同じ理由によるものです。

アメコミファンについて

本ブログではアメコミファンが過激化してただの粘着になった光景を目の当たりにしたと思うので、不肖私がアメコミ勉強ついでに(増田氏の尻拭いかよ 笑)気にいったの、評判ほどにはよくなかったのを彼らに代ってここでバランスよく(ただのネタとして)ご紹介しよう--http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060601#p1

『マンガ 世界 戦略』(夏目房之介小学館刊)の問題点

http://d.hatena.ne.jp/boxman/20040409#p2

美少女ゲームの結末

最近エロゲーがつまらなくなったのは、それが既に役目を終えたから。なんてことを言うときっといじめられる。間違いない。だから僕はこう言い換える。僕にとっての美少女ゲームの結末はおそらくシンフォニック=レインだった。僕はその中に全ての過去の情景と回答とを見て、それに満足した。僕にとっての価値あるエロゲーたちは全てそこへの道しるべであり、そしてそれらの織り成した物語は、とにかく素晴らしかったのだ、と。--http://d.hatena.ne.jp/hajic/20060605/p1

フロントガラスにペンキを塗って、アクセルを踏もう。

 だったら、蟻を潰して愉悦に浸るような歪んだ子どもは、実は歪んでいないのかもしれない。それが当たり前なのかもしれない。蛙の肛門に爆竹を突っ込む子どもだって、猫に毒の入った餌を食わせる子どもだって、通りすがりの人に向けてエアガンを発射する子どもだって、母親を包丁で刺し殺す子どもだって、歪んでいないのかもしれない。正常なのかもしれない。--http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20060605/1149443738

 えーと、文化的に排除の対象となる行為は、
・共感すべき対象に共感しないこと(共感すべきでない対象に共感すること)
・共感を切断すること。「共感した」対象への殺害、暴力など。
(・負の共感、憎しみを抱く場合にはこれを反転しよう)

 
 こんな感じです。
 だから、戦略爆撃の倫理性が話題になりづらい*1一方で、100人切りとか、ソンミみたいな虐殺が話題になりやすい、と。牛を食べながら鯨を助けるとか、アフリカで人が死ぬことを放置しながらも猫を助けるために多額の寄付を払う、みたいなのもそんな感じ。
 おそらく、このへんは、人間の進化心理学的機能と関係があるのかな、と思ってみたり。善悪という道徳は、もっと後の話になるだろう。


 で、時々見かけるのが
・なぜ、全ての対象に共感できないのか
・なぜ、共感していない対象に「残酷」になれるのか
 という命題。
 それは、新石器時代から、そういう設定だから、という答えになるかな。
 あと、共感するしない、は心理的・生理学的だけど、共感すべきかどうか、は社会学的だし。


 と、こういう話はフラグが立ったり立たなかったり、という文脈でやりたいものです。

追記:
 ちょっと補足。後ろのほうの文章は、時折見かける、普通っぽいのに、自分は残酷である、人間でない、と喧伝する人向けの文章で、
 「知らない土地で、知らない顔の、知らない名前の人が死んでいる。そのことに、私たちは加担しているかもしれない。でも、人間はそういう風にできているから、感情が動かないことを気にすることは無いと思うよ」という意味です。で、私は、知らない人間は死ぬべきだと言っているわけではなくて、「そういう人たちを助けるために、公的回路を通じて世界を動かすべきだ」という考え。例えば、単身戦時体制の国家へ出掛けて、復路に何千万円も費用を掛けるなら、そのお金でその国の人に雇用を与えた方がいいんじゃないかな、という感じ。もちろん、「無制限の生の肯定を!」と叫ぶ人は、明日にでもアフリカの真ん中あたりで生の肯定をしてあげると喜ばれるんじゃないかな。


さらに追記:
 要は、正常とか異常というのは、誰かが持つ固有の性質に、なんか物差しを当てて、長いとか短いとか言っているもの。ミリだフィートだインチだ寸だと、違う単位を言い合っても仕方ないような気がしたのでこういう文章を書いてみたけど、まあ、雨の日に、俺は日本の将来や自殺者の増加より、傘がないことが大事なんだと言ってみるのもいいかもしれない。そうしたら、うん確かに、ジャスコでウオルマート化だもんね。日本も。と返事がくるかも。小売の世界。お粗末でした。



 

*1:実行者を対象として、のものは

TRPGにおける粉塵爆発の考察

 粉塵爆発がTRPGで困った問題になった所以は「自然現象だし、粉を撒いて火をつけるだけなら別に行為判定も必要ないでしょ」と、「粉塵爆発は必ず起こる自然現象」「粉を撒いて火をつける動作は普通は無判定」「だから粉塵爆発は無判定で行える」という三段論法により、GMはいきなりダメージ換算を要求されるという「ちょっと待て」的な展開になり、それが滅茶苦茶なマンチキン行為だと紛糾し悶着が起こるってわけです。--http://ugatsumono.seesaa.net/article/18850469.html

 今回の考察で、
 「粉塵爆発には一定濃度の粉塵雲を起こす必要がある」
 「破壊に必要な、圧力上昇を得るだけの熱量を生む濃度の粉塵雲を人為的に作るのは、専門的な装置でもない限り難しい行為である」
 「したがって、撒いた粉が着火した時点で適度な濃度の粉塵雲になっているか、運試しの判定がいるのではないか」
 という結論に僕は達しました。

色々ためになる。
えーと、火薬にしても、雷管があれば爆発するけど着火しても燃えるだけ、なんてのがあるし。


しかし、ここで、シルフを使って小麦粉を撒く冒険者の姿を想像してしまった…

"星野氏へ「天罰が下るは使っちゃいかん」"

http://www.zakzak.co.jp/top/2006_06/t2006060529.html

 「(戦わないのは)検察の圧力からではない。組織をどう存続するか、自分以外が検察にどんどん呼ばれるのもいやだった。人生で初めて戦うのをやめたのかなと」

「ルールに基づいている」なら、検察の嫌がらせも許せば?

 「ただひとこと言わせてほしい。青少年を育てるような野球をやっていたひと(阪神タイガース星野仙一氏)が『天罰が下る』というような言葉を使っちゃいかん。それはおかしい。うちの子供に影響が出た。そういう中で私は嫌われ者になってしまった」

 青少年を育てるような野球をやっているチームの親会社に敵対的買収をかけるのはおかしくないのね。

 世論を背景に摘発を進める検察も、こういうときだけ子供をダシにする村上氏も、どっちもどっちかなぁ。

「桜乃きらほの魔法医カルテ」 (MF文庫J)

読了。
「魔法鍵師カルナの冒険」に続く、職業もの。
こういう、豆知識ものは、「知らなかったものを、知る」という快感を読者に与えてくれる。
美味しんぼ、以来増えたカテゴリーかなと思っている。

魔法薬売りのマレア (ヤマグチノボル)の場合は、伝統的な魔法に近い手法だけど、こちらは、ERとかそんな、脳手術や心臓手術をモチーフにして緊迫感を出している。擬音を大きな字で書く、というのも一つの手法だし、細かくプロセスを書く、というのも臨場感を出す手法。

ガガガ文庫とルルル文庫の話題

http://neo.g.hatena.ne.jp/nand/20060602/p1
http://lu3.gagaga-lululu.jp/edit/

 つまり、創作に入るまえにやったほうがいい大きなポイントを2つご提案。

①しっかりとした異世界の設定(=世界構築)。
 これは細かく練りましょう。綿密であればあるほどいいと思います。
 世界設定がいい加減だと、作品がぐらぐらしてして、
 読者が何を読んでいるのかわからなくなります。
 世界設定ができるのは作者のみ!
 どんな時代か、どんな衣装か、どんな宗教か、どんな通貨単位か、
 どんな食べ物か、どんな国々か…などなどを細かく決めて
 創作に取りかかりましょう。

②魅力的なキャラクター作り。
 これも綿密にやりましょう。
 どんな容姿なのか、誕生日、血液型、性格、好きなモノは何か、など
 作品に現れない部分も細かく設定しておいたほうが、
 キャラクターが動かしやすくなると思います。

 異世界ファンタジーの勧め。

 
 書割とかそうでないとか書くと、アレがそれなので。
 なんていうか、物語世界はテーマパークのライド系アトラクションみたいなもので、見えるところだけきちんと作ってあればいいかな、と思っている。
 ただ、有る程度きちんと作らないと、不整合があったり、あまりにもご都合主義に見えたりしそうではある。

"スレイヤーズを含んだライトノベル史"

http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20060605/p4

昔、ひとつの川がありました。

それは「角川」、「富士見川」などの小さな川が集まって出来ていました。

そのうち、「スレイヤーズ水脈」が川の中から見つかり、川は太くおおきくなりました。

http://d.hatena.ne.jp/sinden/20030919
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/OTAKU_chronicle
http://grev.g.hatena.ne.jp/keyword/%e7%99%ba%e8%a1%8c%e9%83%a8%e6%95%b0%e3%81%ae%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%ba%e7%b7%8f%e8%a8%88
URL読んでもらえば話は終わりっぽいけど、そうするとURL並べただけで何かを語った気になって、と言われそうな気がするのでちょっと書く。
 「スレイヤーズ」が良質なコンテントであったことは間違いないと思うけど、人気の理由として、それがアンチテーゼとして機能していたのかな、と思っている。正統派RPGに対してかもしれないし、ジャンプシステム、に対してかもしれない。
 バスタード!は88年スタート。