論理的という言葉が嫌い

http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060603#p1

僕はこの「論理的」という言葉と、それを億面もなく使う人が嫌いです。--http://d.hatena.ne.jp/fujipon/

 形式論理学は、どんなときでも絶対的に正しい*1。でも、現実の何かを言葉に落とし込んで、なんらかの論理系や倫理系と共に形式論理学を適用し、そしてそれを現実の問題に復帰させるときに、莫大な誤差が出る。臆面も無く「論理的」という言葉を使う人間は、この誤差に自覚的で無いというか、それを無視した詐欺師というか。

実は、「意見表明」のキーポイントって、この「論理的」の部分を、どう周囲の人にわかりやすい形で伝えるか、なのです。「どういうプロセスで、その結論にたどり着いたのか?」こそ、「語るべきこと」のはず。

証拠も示さずに科学的、を連呼する人も似たようなものというか。

*1:と、私は思う。形式論理学が嫌いな人は、1000円で120円の飲料を買ったお釣りが幾らになるのか、一生考え続けると楽しいと思う