郊外化する東京

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20080825
 二つのセカイの境界に、交易点としての都市ができる。
 都市と田舎、とかね。
 じゃあ、昔の田舎、イマの東京は何なんだ、という問いには、中心として、上位概念との界面となっているのだ、と、訳の分からないようなことを言っておく*1
 で、ちょっと前の秋葉原は、PCのメーカーと、ユーザーを「直接」結ぶ、交易の場だった。大手メーカー(日電とか、NECとか)や、代理店に疎外されたユーザーが、直接パーツと向き合い、人間性を回復したのだ。
 で、聖地を持たないDellと、ケータイの普及で役目は終了。


 二次元セカイとの境界として、その媒介となる、フィギュア同人誌ゲームコンテンツを売っていたけど、それがニコニコに代表される粒度の小さなコンテンツの集積に移行したのか、二次元セカイを必要としなくなったのかは謎。

*1:注:本当にわけがわからない