ダンプカーの通る道で


あるところに、ダンプの通る道がある。
道路は狭く、路肩も狭い。だけど、そこを通らないと生活が出来ない。


で、ある夕方、自転車にのってそこを通っていた人がダンプに跳ねられた。


親だって、先生だって、そして本人だって、危険なのは分かっているはずだ。
だけど、病室で、翌朝の学級会で、
「道路を走っていれば、ダンプに跳ねられる危険がある。そんな道を通るなんてしつけがなっていない/悪い/罪がある」
と話すべきとは「思わない」
と思っている。


「ダンプに跳ねられるのが嫌なら、家からでなければいい」
という文は、文自体は正しいかもしれないが、公正とは思わない。


もちろん、事故にあった人の病室で、「不注意がもたらす悪い結果」をくどくど述べる必要がないことと、交通安全の重要性を教えることは別。

リスクの大小と、倫理的な善悪は違う。
ハイリスクな状況を選ぶことを「罪」とするなら(略)。