承認欲求

 呼吸を止めると苦しいとか、空腹になると腹が減るとか、眠いと眠いとか、そういう次元で、「他者」を見ると、交流を求める、交流が切断されると寂しい、という機能が実装されていると思っている。
 痛覚がなければ痛くないとか、CO2レセプターをつぶせば息を止めても苦しくない、心頭滅却火自涼、言うのは簡単だけど、実行はなかなか。


 承認欲求は、心のごはんみたいなもので、子供のうちは、○○ちゃん、ごはんですよ、と、ごはんにおかず、デザートまでつけて、栄養バランスを取って、むりやり食べさせる。ある程度大人になると、自分で獲物を取ってきて、自分で栄養バランスまで考えて食べないといけない。昨日は肉が多かったから、今日は野菜を食べよう。ステーキ三食だと飽きるらしい。ちなみに、もっと大人になると、肉を一杯取ってきて、野菜を育てて、米を蓄えて、弟とか子供のために、お腹一杯承認欲求を食べさせてあげないといけない。かもしれない。
 そんなわけで、自分で狩りをして、もしくは肉屋に魚屋、八百屋に果物屋、を回って、自分の承認ご飯をつくっている人から見れば、テーブルに陣取って、「承認マダー? チンチン」という人は、幼稚に見えるのかもしれない。ただ、彼らは彼らで、自分の承認は自分で面倒をみて、ただ、時々承認の外食にでているのかも、しれない。


 ここで、問題になるようなならないような、なのは、貨幣さえあれば、承認のフルコース(笑)をスイーツ(笑)までつけて食べられること。自分では、インスタントラーメンな承認とか、目玉焼きな承認くらいしか得られなくても、お金があれば、ステーキ(笑)やスイーツ(笑)が三食食べられる。お金があるといいですね。