『承認欲求』

ttps://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20230430/1682841855

1.「承認欲求を持つことは悪いことか」
2.「思春期の年頃において、承認欲求とどう向き合っていけば良いのか」

『承認欲求』って何ですか?
というところから対話を始めるといいと思うんだけど。


粗雑な動物行動学によれば『個体は個体生存を最優先する』のが当然であり、人間は動物であるので自分の生存を放棄してまで他者や集団の生存に貢献することはありえない。それを解決するのに『承認欲求』『自己実現欲求』の想定は有用だったのだろう。
こう、一万年前の新石器時代に『獲物を自分の洞窟にガメて個体生存を最大化する個体』ばかりの集団では弱者が飢えて死に、ちょっと風邪ひいた強者も飢えて死に、自分の洞窟に肉を溜めまくった自己保存モンガーも一人じゃマンモスを倒せなかったりうっかり骨折した際に狩に出られず飢え死にし集団は絶滅。ちょっと獲物を多くとったときに『承認欲求(に相当する心性)』を満たすために皆に分配するような個体が多い集団がこの先生きのこった。そんな想像をしている。そう。集団の生存に有用だからこそそのような心性が残ったのだとそう考えている。これが1の答え。

そして、バブル前夜から『飯をケチってまで消費に傾倒させる』プレゼンのツールとして大塚某みたいな民俗学心理学出身者が広告や出版業界に重宝されたという都市伝説がある。広告出稿者をだまくらかすわけだな(※都市伝説です)。適切な『承認欲求』の程度なんて記述しようもないが広告代理店はマスコミを通じて「キミは疎外されている。もっと承認を得られる筈だ。わが社の商品を購入すれば*1」と『承認欲求』を喚起しまくっている(※都市伝説です)。青い鳥ではないけれど、『『承認欲求』は家族や友人、地域小集団を経由して備給するしかない。社会的成功やSNS上、ゲームプラットフォーム上でのそれ自体での成功による自己実現はかなり困難であるし、消費による自己実現も経済的に困難な情勢である』っていうのが10年代の答えって気はする。


なんていうか、食欲は個体保存に必要であったが飽食の時代には個体保存を損ねるようになってしまった、的な。

*1:昔はセゾンのファッションや雑貨、最近はアイドルへの投げ銭スマホゲーのガチャであろうか。ちょっと前はブログサロン?