反対側のMaslow

(雑な)動物行動学から考えると、個体の生存はなにものにも優先する。腹が減ったら狩る。満腹なら寝る。
そういう観点から考えると「縄張り維持のためのパトロール」というのは少し高等な行動になる。飯にならないのにほっつき歩くなんて。まあ、縄張りを確保したほうが長期的な飯の確保につながるので一段上の「安全の欲求」といったところだろうか。魚類でも縄張り意識はあるようだ。
社会的欲求は、家族形成でありこれも魚類でも認められるようだ。群れを作る種でも見られ、自分の遺伝子の拡散を最大化するという観点で説明される。群れがこの先生きのこれば、私が死んでも自分の親類の遺伝子がこの先生きのこる


そして本番、承認欲求、自己実現欲求。Maslowの階段を順にのぼるなら、人は腹いっぱい飯を食べ、縄張りを持ち、そして家族をつくり大家族なり地域コミュニティを確保したうえで、やっと承認欲求を満たすためにギターを弾いたり、絵を描いたり、綺麗な服を着ることになる。それでは困る業界は若者を誘惑し、「ギターで成り上がり、武道館で聴衆を湧かす!」と家族を捨て故郷の幼馴染を捨て都会に出てバイトしながら安アパートでギターを弾いたりするわけだな。「この服を着れば承認欲求を満たせますよ」「この旅行パックに出かければ自己実現欲求を満たせますよ」と、低次欲求を飛び越えて高次欲求を充足させようとする。


高次欲求、承認欲求と自己実現欲求は「承認する他者」の有無で分別されるが、Maslowさんは欲求を「低次なものが充足されると高次の欲求が出現する」って言っていたように(本当か?)、承認欲求を満たさずに自己実現欲求を満たすのは難しそうな気はする。超越的な存在(例のあれだ)を規定するのは日本人には難しそうだし、「内なる他者」の創造もねぇ…