http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20071119/p1
いつものように、元エントリーはあまり読んでいない。
さて、
http://grev.g.hatena.ne.jp/REV/20071116/p2
で転記したのを再転記するが、
> 今までどうやって生きてきて、これからどう生きていくのか
> この社会のなかで自分なりに生きるにはどうしたらよいか
> 自分とは何者なのか、その自分なりの定義付け
http://blog.livedoor.jp/minus_zero/archives/50762440.html
「アイデンティティー」は、そんな、現在と過去と未来、そんなものからなり、どれかひとつでもあれば、それなりに満足できると思われる。
■マーシャは同一性地位(どういう状態にあるか)について
4つに分けれることを見い出した。
1.同一性拡散
> どう生きるかについて特定の傾倒をしていない
2.早期完了
> どう生きるか探索をせずに、傾倒はしている
3.モラトリアム
> 積極的に探索し、まだ傾倒をしていない
4.同一性達成
> 積極な探索と傾倒の双方を行っているもの
http://blog.livedoor.jp/minus_zero/archives/50762440.html
2.と4.はそれなりに幸福感を得て、3.は幸福感低いらしい。
自分が誰であるか、どう生きるか、それを「見つけた」人間は幸福であるし、見つけるまでもなく入手した、そして、別に探す必要のない人間も、不幸ではない。しかし、探して、そして得られない人間は幸福感が低い。
これは、「アイデンティティー」に限ったものではないだろう。お金・名誉といったものを過度に求めない人間、不要とする人間は多い。が、求めて、得られない人間は幸福感が低そうである。不足感を持っている人間に、持てるもの、持つ必要を感じなかったものが、「俺は○○なんて要らないよ」と言えば、大漁です。大漁旗おめでとう。
さて、過去を否定され、連帯を得られず、もしくは所属集団に尊厳を得られず、未来(進むべき道)が見えない人間は、幸福感が低めになるかもしれない。そういう人間に便利なのが、(中略)とか(中略)とか、カルトとかファッショだろう。ちょび髭の伍長さんは、国民に栄光ある民族の歴史も、国家の威信も、そして帝国の未来も示してくれた。ただ、周知のごとく、「持続的な成長の望めない」手段によって得た幸福は、長続きしないこともある。アイデンティティーを得られなかった人間が、家族や、仕事、宗教、芸術、そういうものでアイデンティティーを得て、幸福になる例は、それなりにあるかもしれない。でも、他人を排斥したり、そのような集団に属す、また、(中略)などの手段でアイデンティティーを得ることは、長続きしないだろう。
とりあえず飽きたのでここまで。