"第三者の審級"

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具体的な定義としては、「そこに帰属していると想定された(つまりそれが承認していると認知された)ことがらについては、任意の他者が学習すべきことについての(価値的な)規範が成り立っているかのように現れる、特権的な他者のことである」としている。この第三者の審級は、自己と他者との関係性において、どの他者にも還元できないような実体として立ち現れてくる必要がある。なぜならば、大澤真幸によれば、第三者の審級において、経験や他者における「正当/非正当」を区分けすることが可能となり、一貫性を与えることができるからである。そして、この第三者の審級は規範的な存在であるが故に、他者や経験を先取りし、経験を「経験」と認識したりすることが可能となる。
しかし、その一方で第三者の審級が衰退したあり方として「オタク」を見出している。大澤真幸は「オタク」を「意味の持っている重要性と情報の密度のあいだに逆立があること」と捉えている。第三者の審級は、自己(これもまた一つの他者として形成されるのだが)と他者の繋がりにおいて形成され、一つのコンテクストを与えるものとして考えるならば、このようなコンテクストの不在は、第三者の審級が衰退したことによって現れていると考えられる。

うまく説明しづらいが、ラカンの「象徴界」「大文字の他者」、ポストモダンの文脈でいう「大きな物語」が概念的に近い。

読んでもうまく理解できない。あ、これは、作文者のせいではなくて、当方の知識不足。なんもしらない人が、SASとか、IPとか、APFSDSとか理解しがたいのと同じかな。