冷静な議論を進めるために

http://anond.hatelabo.jp/20070417195252

例えば、ある議論において、「B型の人間は自己中」という主張が為されたと仮定します。「B型の人間は自己中」という主張が正しいかどうかはともかく、この主張がまかり通ることになれば、精神的打撃を受ける人間がいます。

 「自己中」というのは、多分に価値基準を含んだ、規範的な単語です。日本では、脱価値化するために英語を用いますし、英米ではラテン語ギリシア語・コード化、スコア化を用いるようです。自己優先的<=>他者配慮型、な性格をなんとかスコアで表し、血液型とスコアに相関性がみられた、という主張なら、議論の参加者の同意が得やすいかもしれません。「B型の人間は自己中」という主張は、「煽り」以外のなにものでもないでしょう。もしかすると、この文章は、「議論の主目的とは別に、議論から精神的利害関係が派生し、それらは議論の主目的を阻害する」文意があるのかもしれません。しかし、「B型の人間は自己中」という短い文は、B型の人間に精神的な打撃を与えることが主目的でしょう。

もし、このエントリが、とんでもなく下らない揚げ足取りをされたならば、私はすぐさま精神的利害関係者へと変貌するでしょう。私は怒りでぶるぶると震えた手でキーボードを打ちます。

 冷静な議論とは、対立する意見の調整だと思っています。この文章から読み取れることは、なにかしらネガティブな反応があれば、それを揚げ足取り、しかも、とんでもなく下らない揚げ足取りと解釈し、極端な反撃を辞さない決意表明です。



 と、相変わらず安い魚をやっていますが、

議論の本質を、他人とのコミュニケーションを通して、正しい答えを求めていく作業とするならば、精神的利害関係者が、議論にとっていかに有害かわかることでしょう。

 を
 「俺の意見に傷つく奴は、精神的利害関係者だ。議論にとって有害だから、とっとと立ち去れ」
 という前振りだとしたら、なかなか有用です。


 ということで、このエントリが、とんでもなく下らない揚げ足取りをされたならば、私はすぐさま精神的利害関係者へと変貌するでしょう。私は怒りでぶるぶると震えた手でキーボードを打つでしょう。と予告しておく。
 のだった。