http://nv-club.nikkeibp.co.jp/members/COLUMN/20051128/106485/
なんのために働くか。物やサービスを買うためだ。物やサービスは何のために必要なのか。よりよい人生のため、豊かな人生のため、がいままでの答えだったが、いまはそこに万人共通の答えがない。そこに自分なりの答えを見つけられない層が「下流」となり、「絶望」する。労働の再生産のための物やサービス、と考えられない層が、「フリーターでその日暮らしでもいいや」と考え、社会的な存在として自分を位置づけられない未熟な層が「自分らしければいいや」とコンビニで食事を買いカジュアルな安い衣料で満足する。
働くことに「自己実現」などというごたくをくっつけなくても「働きたい」「仕事するのって楽しい」と積極的に思える精神の力を持った人は、消費にも「人並み」とか「ステイタス」とかのごたくがなくても「買いたいな」「好きなものを買えるのって楽しい」と積極性をもてる。くどくど考え始めると、働くことにも消費にもたいした意味はないことがわかるけれども、やってみれば楽しいことでもあるわけで、「やってみれば楽しい」というだけの価値で私たちは人生をなんとか生き切っていくしかない。つまりは、私たちが問われているのは、なまじ考える力よりも、ともかく行動していく力であり、必要がなくてもなにかをしたいと思える力なのだと私は思うのである。
生活の基本的欲求を満たすために消費があるわけではない、というこの消費社会、なんて議論はもう20年以上昔の話で・・・。
マスコミとか社会がよってたかって欠乏を煽り、みんなでよってたかって葡萄を食べようとぴょンぴょンジャンプ。食べてみたけど酸っぱかった、なんて幸運にも食べられた一部の人しか言えないし。
で、結論が「ともかく」というのはなんというか。