ラノベブームの内在説、外在説

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20051025/1130167129

ライトノベルが「発見」されたのは2004年のことだった。このジャンルの全盛期は前世紀のことで、当時はまだ「ライトノベル」とは呼ばれていなかったが、本の売り上げは今の1.5倍くらいあったらしい。本当かどうかは知らないけれど。
全盛期には注目されていなかったライトノベルが、なぜジャンルの勢いに翳りが見え始めてから「発見」されるようになったのか、ということについてはいくつかの説がある。いくつか挙げてみよう。

  • 全盛期の読者が成長して、出版・マスコミ業界に進出して企画を立ち上げられる世代になった。
  • インターネットの成熟により、ネット書評サイトが増えた。
  • 一時期のオタク文化をリードしていたエロゲーが衰退し、理屈っぽいマニアがラノベに流れてきた。
  • 出版業界全体の低迷に比べるとラノベの売り上げはそこそこで、傍目には成長しているかのように見えた。
  • ラノベの停滞に危機感を覚えた人々が事態の打開を図るために、宣伝を行った。 これら諸説の当否について意見を述べるのは控えておくが、今思いつくままに書き並べてみて、ある共通点に気づいた。それは、ライトノベルに内在する原因ではなくて、それを取り巻く環境の変化で説明しようとしている、ということだ。

内在説が皆無だということはないはずで、たぶん見落としているだけだと思うのだが。

 ソノラマ時代(とか眉村卓とか超革とか)のラノベと、富士見ファンタジア(とかロードスとかスレイヤーズオーフェンとか)のラノベと、コバルトX(十二国記とかマリみてとか)なラノベと、電撃靴(イリヤとかハルヒとかドクロとか)なラノベは、ラノベだけれど進化論的にはサメとマグロとイルカくらい違うものと思っている。まあ、評価にはいろいろあるのだろう。SFのサブセット、RPGのサブセットとして評価されたラノベが、独立したジャンルとして発展したのが、特に電撃で、ゲームのノベライズから発足し、独自路線に変更したことはその傍証だと思っている。
 「Aの発展」を、内在的なものとみるか、それとも「A以外の停滞」とする外在的なものとみるか、それとも、『「Aの発展」を認識する我々、という外的要因』と外在的なものとみるか、は、なんか認識論ではある。


ラノベ読みがラノベを書いて電撃大賞に応募した:内在説
・ゲームやアニメやマンガが才能を吸収できなかった:外在説


電撃文庫が売り上げを伸ばした:内在説
・電撃以外の出版の伸びが不調だった:外在説


イリヤ・キノ・マリみて十二国記とアニメ化が相次いだ:内在説
・アニメ業界が不況とネタ切れのため、ラノベに飛びついた:外在説


インターネットの成熟は、ラノベにも、ラノベ以外にも効いている筈なので、ラノベの認知割合が高まる理由としては弱いかな。
ラノベが発展したため、インターネットでの言及が増えた:内在説
・インターネットの成熟のため、ラノベサイトが臨界点を越え、勢力を形成した:外在説


よく利用する本屋の棚が、一列増えたときにブームを実感し、元に戻ったときにバブルの終焉を感じました。はい。
 

追記:
http://d.hatena.ne.jp/giolum/20051026

 今「ライトノベルブームが終わったらどうなってしまうのだろう」「レーベルの乱立が破局を招くのではないか」ということがよく話題になっておりますが、そもそも現在あるライトノベルは真っ直ぐに伸びてできたのではありません。かつて無数に伸びた枝葉の生き残りなのです。たとえレーベルが次々と枯れたとしても、また新しい芽が出てくるでしょう。そのしぶとさ、たくましさ、ずうずうしさが現在便宜上ライトノベルと呼ばれている作品群の魅力なんです。