本来論争

「本来の○○は…」と、本来論をぶちあげている様子を目撃。
なんていうか、対象の価値が対象それ自体に内在する価値内在論は、「オレは△△が本来価値だと思う」「いや、おいらは□□が本来の姿だと信じる」「拙者の考えでは☓☓が本流でござる」…と収束が難しいので、価値というか役割というかあるべき姿は、対象に外在するという態度のほうが便利な予感。
「提唱者は○○が本来価値と宣伝した」
「マーケットの主流は○○であった」
「求められた役割は○○であった」
「△△から発展し、○○となった」
とかね。


そうでないと、「そもそもコンピュータは弾道計算の為につくられた」みたいなギャグが横行することに。

ちょっと追加。

 それをそのまま書くとアレなので、ここは、SUVとかオフローダーとかにしてみよう。
 いわゆる、SUVという自動車のジャンルがあって、エクストレイルとかハリアー、ちょっと前だとCR-VやRAV-4が売れていた。
 そういうものに対して、「本来、このジャンルはWillisのJeepに端を発したもので、不整地での走破性がなくてはいかん」「SUVは、アメリカのライトトラック派生であり、フレーム構造が必須である」的な言辞でもって、家庭用セダンの車高を上げてボディー変えただけ、みたいなSUVを非難する声もあった。なんだかんだいって、四輪駆動でなくて、そんなに困るなら、積雪地には二輪駆動車なんて存在しないだろう。論者の定義はともかく、ユーザーは、カムリの車高高いので充分だったのだ。
 「俺はこう思う」「私はこう定義する」というのが明白ならいいけれど、「SUVとはこういうものだ」という価値のジャンル内在を語ると、どっかぼけた話になるかと思う。