"ゲームと現実"

http://www.hatena.ne.jp/1119881393#

「ゲーム」と「現実」の違いを考察してください。

※「ゲーム」が意味するものは、MMOをはじめとする技術的に可能であろう擬似世界です。
※「価値」「感覚」「コミュニケーション」「リアリティ」「制限」等のキーワードを含んでいるとよりよいです。

「ゲーム」の前提条件を、何らかの形で規約を定型化させた共通認識として有される幻想――
仮想現実とするのではあれば、
「現実」は「ゲームではない」何らかの形で規約を定型化させた共通認識として有される幻想と
なるのでしょうか。

http://yellow.ribbon.to/~aka7/

私の考えは、解答の中にあった「ゲームとは現実の一部分である」に加えて「それらを区切るものは人間が作ったルールである」というものですが、理由が説明できないのでそこから先が出てきません。

 いつもの回答。
 「ゲームの定義によるね」
 えーと、ちょっと昔の戦争では、指揮官は軍勢の真ん中で愛、じゃなくて命令を叫ぶ存在だった。で、その頃、碁や将棋は、ヒトコマ進めるためには数カロリーも消費しない、記号的な存在だった。で、最近になると、指揮官は中央指令所の真ん中で、机上の軍勢に進軍を命ずる。すると幕僚がその部下に指令を出す。で、今の格闘ゲームで超必殺技を出すには複雑なコマンドを入力しなくてはならない。どちらがより仮想の存在なんだろう。
 また、命の次にリアルな通貨。通貨というのも、ゲームの札のような存在だ。遊戯王カードの価値はコナミが、ラグナの通貨価値は重力が保証しているように、通貨の価値は中央銀行が保証している。自衛能力がある国家の中央銀行が発行している通貨に支えられた企業が発行しているポケモンカード(レア)の価値は、破綻国家が発行している通貨を上回っている。
 まとめると、
・仮想化が進んだ"現実"と
・複雑化、実体化が進んだ"ゲーム"
 とは接近している、という、何十年前のSFっぽい話。記号化の極地ともいえる碁や将棋のようなゲームの裏側で、異世界の現実がリンクしている、というのは昔からあるパターン。
・一方のプレイヤーにとっては仮想性の高い、身体性の低いゲームでも、他のプレイヤーにとってはそうではない、という非対称性もそのころからか。

それを考慮すると、現実とゲームの違いは、プレイヤーがゲームキャラクターを操作しているという自覚があるかどうか、ではないかと思います。

 これは、PC=プレイヤーキャラが存在するゲーム前提の御話。おもしろい着眼点。ただ、世の中には、自分と言うキャラを演じる人間がいる。極端な例だとある種の芸能人。ゲーム論でなくて心理学的話題となるが、これはこれでおもしろい。貴方の人生はゲームなのか?と言う問いには

反対に 現実の人間でゲームを行った場合 本人は終わらせることが可能でも それに巻き込まれた人間はそうではありません。

きちんと 終わらせることが出来なくなった時点でゲームではなくなってしまいます。

こんな回答が。

ゲームとは娯楽であり 制限された時間と空間(場所)に於いて行われ、自らの意志で完全に終了させることが出来るもの。

たとえ どれほどリアリティがあろうとも 完全に区切ることが出来るかぎり それはゲームといえます。

 が、ゲーム内通貨とリアルマネーが兌換性を持ち始めた今日この頃、ゲーム内のPKがリアル通貨の損失と同等の損害をもたらすこともあるだろう。これは、完全に区切れるゲームなのか?平和にソロプレイを行うプレイヤーに、チートでボットなキャラでPKかまして、これはゲームだぜイェーイ、で通るのか?

 ざっと見るに、あちこちで
・現実とゲーム=純粋な、概念としての"架空現実"
・現実とゲーム=金が取れる、エンターテインメントとしての"MMORPG"
 を混同気味。