"未来の自明性"について

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20051018#1129609692

しかしソビエトが結局はシニシズムに支配され理想と現実の乖離の中で形骸化した姿を晒し続けながらも過酷な行軍の果てに「ゴールした」ように、ラノベやエロゲのそうした構造*1も既に形骸化しゴールへの道を歩んでいるような気もしないでもないです。対幻想すら――セカイ系の基軸となる最後の「セカイ」のかけらである「きみとぼく」すら、自己幻想の外延されたものでしかなくなっているように、僕には思えるのです。やがて訪れるのは圧倒的楽園。「sence off」とか「未来にキスを」辺りは(どっちがどっちだか良く覚えてないのに云うのもなんですが)、もう、上記の如き問題意識に到達してしまっている。ついでにいえば「CROSS†CHANNEL」も。

 反応どうも。3行程度の自分の文章に対して、長い反応を頂いて嬉しく思います。自分の考えが整理されました。さて、自分が異議を唱えようとしたのは、この"未来の自明性"で、ループゲームなどは、そのようなものに「システム的に」疑問を投げかけているわけですね。「太陽が昇れば、今日は昨日になり、昨日は過去になる。明日は今日となり、そして未来は我々の前に広がっている」というアレ。

*1:異性/世界との遭遇と参入による圧倒的楽園を至上価値とし、それにより人々を審判し牽引する審級構造・欲望喚起構造