春だけどこうよう

価値は労働量で決まるという労働価値説がマルクス経済学とか古典派経済学だが、価値は効用で決まるというのが新古典派経済学らしい。


PETボトルの水を作る労働量は一定だが(仮定)、山の上で喉が渇いたときには1ボトルの「効用」は大きく発注ミスで山積みになった倉庫では1ボトルの「効用」は小さい(と思う)。
この「効用」というのもまた商品に内在するものではなく、市場関係者の『評価』として外在するものだ。ダイヤモンドは大多数の人が効用を感じるがポケモンカードはそうではない。



そういうわけで、転職した増田の話になるが、増田氏は早退氏に対して労働量を提供し、それは会社に対して効用があったと思うがそれは経営者には評価されなかったんじゃないかなあ。
重たいからと軽装で山に登って喉が渇いちゃった人に麓から走って水を届けても、「水なんてドラッグストアで2lで98円だよね」「いや、食堂なら御冷無料っしょ」「街に戻ったらホースで返してあげるよ」
みたいなものかなあ。