タイヤ論法

 たとえば、山が残ってるタイヤの交換について問われるようなことがある。
「このタイヤ、大丈夫ですかね?」


要するに、留保の無い生の肯定を叫ぶ権力勾配なのだが、ともあれ、


「明日、釘を踏めば破裂するかもしれないし、アスファルトタイヤ切りつけながら走れば損傷し次の点検まで持たないかもしれません。
ただ、現在、タイヤの溝は、直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではないし、明らかなヒビ割れなども目視できません。
このまま使用していただき、釘を踏んだり、過走行したり、異状を感じたらご相談ください。
『次の車検まで大丈夫』と言われたからと、パンクを放置してバーストさせホイールまで痛める例もありますし、その損害までは保障できません」

って話を毎回して疲れる。


「じゃ、その都度新品売りつけるチャンスじゃん!」
って意見もあるだろうけど、そうすっと、あとで、
「友達の友達に聞いたけど、あんだけ溝残ってれば、あと車検二度通るじゃん。情報の不均衡を悪用し不要な交換をされた。賠償と慰謝料を!留保の無い生の肯定を!留保の無い生の肯定を!」
ってオチになりそうなのでやんない。