"古代ローマ史 その7 内乱の一世紀"

http://blog.goo.ne.jp/abc88abc/e/e0e827e51502084c5b1d0f9cb20d2e17

重装歩兵として出陣する兵士は何年も、戦争に行ってなかなか故郷に帰れない、ということも起こってきます。
ローマ市民権を持つ自作農民たちが武器自弁で重装歩兵となっているのですから、ローマの農民がなかなか帰ってこない、ということでもあるのね。

農業をあきらめて離農する者達も出る。彼らは土地を売って生活費を捻出する。
戦争が終わり兵士が帰国してみると、もう土地を手放していて農業が出来ない、ということが起こってくる。
これが「農民=重装歩兵の没落」です。

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 自作農が手放した土地を買ったのは誰か。
これが貴族です。
彼らは大土地所有者となり、農場経営をする。この大農場をラティフンディアといいます。
ラティフンディアがどんどん拡大、発展するのが前2世紀後半。

貴族が経営するラティフンディアで働いたのが奴隷です。

 こういう奴隷を労働力として使ったので、没落した農民が小作農になろうと思っても、ラティフンディアでは雇ってもらえないのです。

だから没落農民たちは家族ごと都市に流れ込んできます。
彼らをルンペン・プロレタリアートという。遊民と訳している。遊んでるのではないよ。やることなくて仕事なくて、放浪しているという意味です。今風に言えば失業者、ホームレス、といった感じ。

ローマ市にやってくれば有力貴族がそれなりに彼らの面倒を見てくれるんです。彼らルンペンは有力貴族の庇護民となり、選挙の時などは貴族のために一肌脱ぐ、そんな関係があるのです。
また、ローマの属州から運ばれた税金、食糧、もろもろの富で、市民権さえあればそれなりの生活は政府から保障されました。

ただ、ローマの中堅市民である農民がどんどん没落すると言うことは、重装歩兵のなり手が減るわけですね。
簡単に言えばこれはローマ軍の弱体化につながる。

 2000年以上前のこととは思えないw