トリアージについて

要約すれば、権力の側から一方的に人を選別する「トリアージ」の欺瞞と「トリアージ」という言葉によってその選別を正当化しようとする論者の欺瞞を指摘するものです。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/625334246bb0be75f6532962061f4597

このトリアージ――選別するのは常に権力の側であり、それが災害医療現場であれば、患者の側に選別の権利はありません。勿論、専門家が適正な基準で誤りなく判断を下せば、その選別によって助かる命の単純な数が選別しなかった場合のそれを上回る可能性はあります。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/625334246bb0be75f6532962061f4597

 

傷病者が圧倒的多数の場合は、できる限り多くの人命を救助するため、処置を実施しても救命の見込みが無い傷病者は切り捨てる、すなわち見殺しにせざるを得ないという現実的な側面がある。この「切迫した非常事態のため、ある程度の見殺しはやむを得ない」という前提が存在する事で、初めてトリアージはその意味を持つ。また、負傷による苦痛について、訴える体力・能力を喪失している重傷者よりも軽傷者の方が訴え自体は激しいため、重傷度の迅速な判定が重要となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トリアージ

スタート法を用いるならば、ある一定の訓練を受けたものならばその判断に誤差が出ることはない。むしろ日々救命の現場で働く看護師や救命士の方が訓練を受けていない医師よりも迅速・確実な判断ができる事は明らかであるが、絶対的劣勢の災害現場では「黒」はすなわち「死亡」として切り捨てる判断に実質上なりえる事は否めない。2004年8月9日に福井県美浜原子力発電所において発生した重大労災事故(10数名死傷)においても、救出時に心肺停止状態だった4名には「黒」の評価が現場でなされ、救急搬送はされなかった(のちの検視により、この4名は即死状態で蘇生不可能だったことが判っている)。

 
たぶん、「トリアージ」という言葉を使うと、見通しが悪くなるんだな。
時間的・空間的に限られた資源を分配するときには、優先順位をつけて対応する必要がある。
ここで、「トリアージ」という言葉を使うと、
「時間的にも、空間的にも、限られている」わけではないのに、限定されていると錯覚させる効果があるのかもしれない。
そのように錯覚させる側、錯誤を期待しているわけではないのに悪意を感じ取る側、どちらかであれば、筋が悪い行為だと思う。


「銃殺か、絞首刑か、どちらで死ぬかを選べ」→「選んだからお前の自己責任」
という議論が筋が悪いように、
「○○を銃殺か、絞首刑にしろ」→「選ぶ権限があったのだからお前が結果責任とれ」
という議論も筋が悪いな。