権利とか自由とか

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20080229/1204241624
なんか、アプリオリに自由が「ある」、と表現するあたりから気になるのだけど、戦術上便利なのは認める。
じゃあ、自由さんとか権利さんになんとかしてもらったら、といいたいけど、モジモジしそうなのでやめておく。


 通常の意味での自由は、「国家は、個人の自由について妨害をしない」という意味であり、「人間には自由がある。俺にも月へ行く自由があるはずだ。ロケットつくれ」という意味ではない。と思う。


 で、自由とか権利は置いておいて、地域間格差は、狭い視野でみれば地域間の再配分の是非であり、実質は階層間、そして世代間の再配分の是非ではある。


 自由とか権利とか、観念上のものとして考える人はおおいけど、それであれば、所有権も人権も、同じ程度の観念ではある。国家(やそれに類する集団)が消滅すれば、「一部のサヨクが愚かにも主張する」と言われているような人権は消失するが、金持ちが当然と思っている(思っていないかもしれない)、貨幣の所有、土地の所有、契約の効力、そして彼らの「暴力からの自由」も消失する。


 「地域が不況なら引っ越せばいい」「職が辛いなら転職すればいい」「ピストルで撃たれたら反対側に避ければいい」「パンがなければケーキをたべればいい」
 と、自由を高らかに謳うのは止めないが、為政者は、どう再分配をかけて、国情を安定させるかが問われるところで、国民は、そういう為政者を選ぶべきだろう。


 「ギロチンに掛けられるのは、施政の失敗による自己責任です。嫌なら王を辞めればよかったのだ」