http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080205#p1
「俺は小説家の村上だ。テニスボーイだぜ。小説の売り上げで、ベンツ乗ってテニスしてモデルや若い女の子と出会って、高級リゾートや海外に行くタフな男だぜ。秋葉原とコンビニと自宅を巡回している、お前らオタクとは違うぜ」
としか読めないタイトルだなぁ。
あ、村上違いかも。
紹介されている、「プールサイド」を100回読んで、原稿用紙に書き写せば、タフでワイルドな大人になり、プールのある邸宅に愛人も所有できるのかもしれないが、読んだことは無い。プールを往復してタフになれるなら、円筒形のプールでゴールするまで泳げば、ノーベル文学賞だか平和賞だか取れるかもしれない。
さて、冗談はともかく、村上春樹氏の著作で既読であり、印象に残っているのは、「アンダーグラウンド」、地下鉄サリン事件を描いたものだ。インタビューを重ねた本文と、最後の氏のコメントは記憶に残っている。
最終章で、若者を引き付けた麻原教祖の差し出す物語をばかげたものとしたあと、しかしこう書いている。
しかしそれに対して「こちら側」の私たちはいったいどんな有効な物語を持ち出すことができるだろう? 麻原の荒唐無稽の物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語を、サブカルチャーの領域であれ、メインカルチャーの領域であれ、私たちは果たして手にしているだろうか?
そしてこの物語を作り出すことが小説家として長い間彼がやろうとしていたことだという。
http://suchi.srs.ne.jp/book/underg.html
世の中から共有しうる物語が消失し、そこに麻原教祖がガジェットを詰め込んだ物語を持ち込んだ。
麻原教祖と教団は、機動隊が放逐したが、その空白を埋める「まっとうな力を持つ物語」は未だ得られていない。
オタコンテンツだったり、スピリチュアルだったり、ケータイメールだったり、そんなところか。
物語、という文学的な用語は、アイデンティティー不安、を持ち出したいところ。
http://d.hatena.ne.jp/REV/20071119/p1