堂々退席

なぜなら、理系における業績とは、「上の人」ではなく「他の人」が見てもわかるものを指すからだ。黒は黒であり白は白。えらい人がそれをいくら黒と呼ぼうとも、それが白である証拠がきちんとありさえすればシロになる。プログラマーが理系かどうかは議論の余地があるが、「動くコードさえ見せればおk」という点では理系に通じている。


文系、それも文学系は、この点において明らかに理系より不利である。「他の人」から見て白黒がわからないのだから。同entryは実に臨場感があるので「こんな感じ」はつかめるのだけど、肝心の修士論文は登場しない以上「こうである」という判断は「外から」では出来ない。なんだか物的証拠がなく自白調書だけで裁判をやっているような違和感があるのだ。


そうである以上、実績よりも立場が権威のよりどころとなるのはむしろ当然であり、文学系に進む以上はそのことは「想定の範囲」ではないかと外から見て思うのだけど、しかしYさんは「論文良ければ全てよし」という立場に「はまって」しまったようだ。だからどんなに「良い」論文を書いてもそれが通らないことに絶望したのだろう。彼は「他の人」にもわかる分野に進むか、あるいは「良い」院生となる -- 当然教授たちにとって -- かのどちらかを選ぶべきだったのだ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50919990.html

 理論上は、「もう、あんた(教授)の世話にならん」と、実験資料やら、論文を抱えて、他の教室・研究所・出版社の扉を叩けばいいわけだ(著作権とかなんとか、は考えないことにする。大学院の単位とか履修年数も無視)。ただ、それが扉を叩ける人間は、そう、多くないだろうし、そして認められる人間は、もっと少ないだろう。引用元の著者は、それが可能な人間だし、そしてまた、それが可能な人間しか、生き残れない世の中になるのかもしれない。