"批判の妥当性の有無は批判の妥当性の基準によって変わるのではないかという思いつき"

* 政治的・思想的主張を意図しないエンターテインメント作品について、「政治的・思想的に未熟である」という意見があったとします。この意見は作品に対する批判として妥当でしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20070606/1181122486

答えはこうだ。「政治的・思想的主張を意図しないエンターテインメント作品であっても、政治的・思想的主張から無縁ではいられない、という立場をとるなら、政治的・思想的に未熟であるという批判は妥当であり得る。他方、作品は作品そのものの意図に即してのみ評価されるべきだという立場をとるなら、そのような批判は決して妥当ではない」

http://d.hatena.ne.jp/trivial/20070606/1181140708

 批判者が、あるポリシーを採用し、それに従って個別の事項を評価する、という場合、評価が(自分にとって)ネガティブなものであっても、結構好ましく思う。
 逆に、批判者が、高邁で広範囲な基準を掲げ、それを恣意的に適用する場合がある。社会活動家の後をつけまわして、駐車場のショートカットやちょっとした駐禁で逮捕したり、千代田区でオタクからナイフを押収したり。
 世の中には、高い理想を恣意的に操る人がいて、そういうのが大嫌いという話。