政治的な振る舞いと、振る舞いの政治性

 「政治的な」行動と、非政治的、たとえば「個人的な」行動、「科学的な」行動、「電波的な」行動、ネット配信記念w、これらが排他的に峻別されるものではない、と考えている。
 本人の意思がどうであれ、本人の意思表明がどうであれ、何らかの行動にはなんらかの結果が伴い、影響力のある人間の行動は、大きな反共を、じゃなくて反響を呼び、その結果は、政治的な文脈で解釈される。その社会的影響から遡及的に、行動は「政治的な行動」と呼ばれることになる。


 このへん、意図(正確には意思表明)とは別に、それどころか、行動や出力、作品とは「無関係」に社会的影響から、形象の、そして意図の政治性を判断されてしまうのが、浮世というものでござるよ。


レニ・リーフェンシュタール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
とか。


本人は、スポーツがしたいだけなのに(と推測される)、政治性を非難され、ボイコットに巻き込まれた話を思い出す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF