"01月14日(日)"ダーゥイニズム関連

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ついでに「進化」という言葉も本来、ふさわしくはなく、「適応」とでもするのが正しいだろう。
いったん陸に上がったのに、また海に戻ったクジラは果たして「進化」なのか、
といったように、あくまで生物は「時間をかけて生存環境にあわせ変化してゆく」に過ぎない。

進化と言うと、「生命は常に高度な存在に向けて、進みつづけている」といった
典型的なオポンチ運命論の匂いがする(多分この考え方の元祖はラマルクかスペンサーだ)。
ちなみにダーウィンはその著書で進化(evolution)という言葉をほとんど使用していない。
ついでに、実は我々がダーウィンの産み出したもの、と思ってるものの多くは、
同時期に活躍したオポンチ野郎、スペンサーの社会進化論によるものが多い。
「適者生存」とか「進化」とかをバンバン使ってるのはダーウィズムを悪用したスペンサーで、
ダーウィン本人ではない。ここらへん、マルクスマルクス主義者の関係に似てなくもない。
ダーウィンが唱えたのは「進化論」ではなく、あくまでそれが起こる過程、「淘汰」についてなのである。
「進化」という言葉はエセ科学者が使う運命論、世界には巨大な意思がある、
といった匂いがプンプンして、個人的にはいい印象が無い。

 そういうものだったのか。