http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061011#1160521802
自分のことを言われているようなので*1、ちょっと書く。
「内包」という概念
「心の理論」という言葉がある。
「私は考える」が一次
「あなたが考えると私は思う」が二次: (二歳から4歳)(チンパンジー、オラウータン、ゴリラ)
「私が考えているとあなたは思っている、と私は思う」が三次。
同様に続いて、五〜六次:(大人)
こういう、内包という機能が働かなくても、何かを分析することは出来そうだ。でも、この機能が働かないと、歴史を動かす誰かさんを想定することは難しいかも。
「大人の思考法」とは抽象思考を指す。別な言い方をすると、石原千秋から引くと、国語は「おマセさん」ほど得点できる科目だ。つまり「大人の考え方」がトレスできる生徒は得点でき、「大人の考え方」がトレスできない生徒は得点できない、という科目だ。
これはまさにそうで、文章を読む出題者の姿を仮想しないと高得点は難しい。逆に、馴れていれば、タイトルを見ただけで文章も設問もよまないうちから解答が想像できたりする*2。
で、
で、抽象思考を理解できず、歴史の因果関係を理解できず、客観という概念を理解できない人というのを、まあリアルで見ることは幸いにしてあんまりないんだが、webではわりとよく見かける。「ネット右翼」とか「ネットゾンビ」とか呼んでいるあの人たちのうち、カルトやヤクザの工作員ではない素の人びとは、この「物心」がつかないまま歳を経てしまった人たちなんだろうな、と思われる。ならば、その意味、彼らを「ネット『右翼』」と呼ぶのは「褒めすぎ」だ。私は反省しなくてはならない。
因果関係*3というのは、あるアクションと、それを受けた別のプレイヤーが何かを考えてリアクションを返し、という、数多いプレイヤーを想定しなければならず、その作業には多量のヒープを多量のブドウ糖を脳内で消費するので疲れる。一方的に、言いたいことをアナウンスするだけなら、並立すべき他者を想定しなくて済むし、マウスをクリックしリターンキーを押すたびに脳内麻薬が出るので楽しい。