粘着気味に例の話題
我々は、一人の個人としてだけでなく、国民として、市民として生きるべきだと思う。
だいたい、8割、1割、1割くらいの比率ね。
税引き後の所得をどうつかおうと、税引き後の所得を寄付してもらおうと、彼らの勝手だ。
もちろん、死にそうだからといって、国民の義務、市民の義務が無くなるわけではない。でも、実質ないか。
個人として個人に寄付をし(しなくてもいい)、国民として、市民として、同じ国民、市民に対して意見表明をすればいいと思うの。
個々人が、国家を代表する形で個人を非難するんで軋轢が起こると思う。
まあ、命の危機を訴えて、公的な義務を吹っ飛ばすのはいつものアレなんだけど。
ボクの考える医者ゲー
http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20061007#p1
実は、この中でプレイしたことのあるの二本だけ(それも途中)。
なんだけど、ちょっと妄想してみる。
主人公は医者。医学生時代、友人を事故で失い、そのショックで記憶が一部失われている。
ヒロインと大学病院でキャッキャウフフとやっているうちに、病院に事件が起こる。
入院患者がヘンな影を見た。死体が紛失した。
主人公は、病院の怪異と、そして自分の過去と対決する。
井戸に!!
…こうですか?わかりませんっ><
拷問
一時期、興味があって文庫本を何冊か読んだことがある。
結局、優秀な拷問吏にかかれば、向こうが言わせたいことは全ていうことになるし、最終的には向こうの調書にサインすることになる。折れた手にペンを持って、拷問吏が手を添えてサインすることになるかもしれない。で、出来ないことは、いくら拷問しても出来ない。知らないことは言えない。円周率を100万桁まで言えない。飛影はそんなこと言わない。
なので、具体的な拷問道具なんかは、嗜虐心の満足や、拷問それ自体が目的であるのだろう、とそう考えている。