愛の名の下に

http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20060617

 通常、人間は誰でもとは性交渉を持たず、特定の限られた相手としか性行為を行いません。「何故そうなのか」はひとまず置くとして、この事実が、他の類人猿と異なる人間独自の性文化を作り上げてきました。性行為の相手を限定することで、性交渉は人間にとって、特別に親密な関係を意味することになったんです。

相互承認状態を作ろうとしている両者がお互いに「セックスしたい」と思っている場合はいいんです。問題は、一方が相手に「愛して欲しいのならセックスに応じろ」と「承認」を餌にして性行為をさせようとする場合なんですよ。このように性行為を強迫的に迫ることは、一種の性的搾取だと言っていいでしょう。

 どうして「セックスの是非」を判断しようとするのでしょうか? それは、かつて「セックスの是非」が「結婚」を担保にして決められていた時代の名残なんです。「愛があればセックスしてよい」は「結婚すればセックスしてよい」を変形させたものに過ぎないんですよ。

 「愛」は何物をも保障しません。「愛」とはあくまで「相互承認状態」でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないんです。私達は「愛」に過剰な意味を付加することで、「愛」を「正当化の道具」にしてしまうんですね。