サッカーについて。
なんか、謝罪対象となっちゃったけど、あれはいいエントリーだったと思うな。少なくともあのエントリーは。
何万人に一人のエリート選手にケチをつける行為は、上手く空気読んでやらないと大変格好悪い。
お茶のみ話で、日本選手批判をする人に苦笑いを内心しつつ、ジーコ批判をしたオレも、きっと格好悪い。
どうでもいいけど。
あと、秀逸なエントリーはこちら。
http://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20060614/1150270212
「サッカーは戦争」とか言うならな。
戦略も戦術も持たされずに犬死させられる選手は可哀想。というか、まあそれが日本というお国の伝統だと言われればおっしゃる通りでございます、という感じ。ニッポンバンザイ!
つりぼりのくまさん
暑くなったせいか、また釣堀で水浴びやっている。
くまさんやらかえるさんまで。
安い魚なんで、私も参上。
さて、言葉を定義しないで使うことは、議論の基本です。
っていうか、まあ、議論以前か。
「困っていて、自己解決できないので、なんとかしてほしい」
という祈りに対して、
「プギャーwwwww」
という話。
もうちょっと具体的にいうと、
釣堀で「愛」という餌を垂らして、それに安い魚が食いつくと、
「自分から餌を与えない魚に餌なんてやらないよ」
と釣り上げる。
夏ですね。
釣堀が賑わった原因は、「愛」という未定義語の利用でしょう。
個人的に、「愛」は断片的な交流、性欲、そういうものが集積した上位概念だと思うのですが、今回、それを大上段に構えて振り下ろしています*1。非モテ、非コミュに必要なのは、交流で、その延長線上に「承認」の獲得*2があり、その先に「愛」があるのではないでしょうか。架空の「愛」を想定し、そこから「承認」を逆行的に設定し、さらにそこから「交流」、場合によっては相手の「発信」を希求するというのはアレな態度で、そんな二次元美少女以外にはありえない状況を期待せず、こちらから小さな交流を、始めてみたらどうか、みたいな記述なら、それはそれなんですけど。
小さな交流、中くらいな承認が得られないがため、一足先に大きな「愛」に飛びつこうとして、余計に自体を悪化させる、なんていう悲喜劇が起こっていないといいですね。