"Otaku is dead" is dead?

 早速、「オタクは死んだ」は死んだ、というエントリーを見かけた。「オタクは死んだ」というイベントは釣りなので、それに言及した私は安い魚らしい。芸風的には、「「オタクは死んだ」は死んだ」は死んだ?というエントリーを作成しなくてはいけないのだが、それはそれということで。
 さて、例えば、民主を標榜する党があって、その党の党首がポカをやらかして*1、党首から退いたとき、それは、民主主義が死んで、日本は封建時代に戻るのか?単に、民主を標榜する党が死ぬのか?党首が死ぬのか?べつに、それはそれ、あれはあれ、で、あまり大したことはないのか。


 で、ちょっと俯瞰した見方がこちら。

ある業界の拡大の結果、業界人の視野が相対的に狭くなるという現象は、どんな世界にも起こって来た現象である。そしてそれを見た旧世代が、「業界は死んだ!」というのも。--http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50511301.html

 業界の膨張という現象を指摘している。
 オタクと呼ばれる何か、は時代と共に色々変遷し、単なる差異、と捉える見方もあるけど、こう、量的拡大という観点がこれ。


 で、世代間格差の背景に、社会構造の変化を指摘した(直接オタク問題には言及してないけど)のがこちら。

リアリティの変化

マジの時代  正しさがあった時代

ネタの時代  正しさをアイロニカルに見る時代

ベタの時代  メタメタ…の中でアイロニーが薄まる中、イベント化、祭りによってネタがベタになる。--http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060528#p1

 東氏や、私の好きな大きな物語の消滅、というアレ。
 


 というわけで、「オタク・イズ・デッド」問題に潜む、オタク概念の変化を、「質的・量的変化を『伴わない』」単なる嗜好の変化として捉えることには賛成しない。

*1:例えば、偽造された手紙を証拠として敵対政党を誹謗するとか