オタク世代論

いまさらこんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、僕は実は、『動物化するポストモダン』が世代論やオタク論に偏ることを本気で避けたいと思っていました。もし「世代」に強い意味をもたせるとしたら、オタク第2世代は、1970年近辺生まれではなく、1980年近辺生まれ、つまり、いま第3世代と言われているあたりに設定するべきでした。そうすれば、第1世代が第2世代に変わった! これからは世界設定じゃなくて萌えだ! という話なのでまとまりがいいのです。実際、『動物化するポストモダン』の内容からしても、そうなるべきでした。第1世代はシニシズム、第3世代は動物、というのが、あの本の(きわめて大雑把に要約すると)主張なのですから。

にもかかわらず、主張が弱くなるのを承知で第2世代を入れたのは、「世代」という言葉を単純に出生年代区分として使いたかったからです。1960年生まれは第1世代、1970年生まれは第2世代、1980年生まれは第3世代、という区分は、出生年を区分して示しているだけなので、深い意味をもたないと思ったのですね。実際はそうなりませんでしたが……。

というわけで、あの世代区分は、こういう風に使うべきなのです。あなたの出生年から1950を引く。それを10で割ったのがあなたのオタク世代です。

1971年生まれの僕は、オタク2.1世代。1959年生まれの宮台さんは、オタク0.9世代。1991年生まれの君(僕の読者のなかで年齢が確認できた下限)は、オタク4.1世代。こうすると、1950年生まれはオタク0世代ということで、団塊全共闘世代(1947-49年生)直後からオタク化が始まったという図式になります。便利というか、内容がないというか、こういう区分なのですね。--http://www.hirokiazuma.com/archives/000222.html

◆第1〜第3に世代を分けたがる風習
 世代分けの無意味さ。下記は、25年前の雑誌記事。

(参考)『アニメージュ』81年2月号の記事“「大御所VS第3世代」座談会”

安彦(良和)「第3世代というのは、いつごろから始まった言い方なんでしょうかね。いかにも、最近、自明のことばのように使われているけど」
大塚(康生)「ぼくは今年50歳になるんです、いや来年だ(笑)。これは第1世代といわれてもしょうがないでしょうね。森康二さん、大工原章さんからぼくくらいまで、ひっくるめて第1世代ということになるんでしょうね。(略)。第2世代といえば、テレビ時代の夜明けにこの仕事に入って、いまテレビや映画の作品づくりを背負っている人たち。出崎(統)さん、宮崎(駿)さん、小田部(羊一)さんとか、りん(たろう)さん、もう、みんな40前後に近づいている」
安彦「そうするとぼくは…」
大塚「第3世代ということになるでしょうね。もしそういう分け方をするなら」
友永(和秀)「ぼくははじめて聞いたなあ」
金田(伊功)「なんか、恐ろしい感じ」
安彦「最近、よく聞くんです」
友永「スゴイなあと思って。もしかするとオレたちのことかなあと思って…(笑)」


 ↑今や全く聞かない(笑)。そして繰り返される「もしかするとオレたちのことかなあ」の歴史。--http://bono.chips.jp/

「オタク イズ デッド」も死んだ今日この頃だけど、オタク世代論について。
規範的な言葉を振りかざしてどうこういうのはつまらない話。
でも、大塚英志と、そのへんの中学生を同じ形質の持ち主とみるのもアレだし、「40代オタ」「10代オタ」というのも不便だし、言葉の限界を知った上で、1世代オタ、3世代オタ、と呼ぶのは便利かなとおもう。