「大人のオタク」

「前書き」
 
 いかにカッコよくオッサンや爺さんになるか?
 これが本書の裏テーマである。
 オタクだマニアだ新人類だと言われてきた私や唐沢さんも今年で49歳。信長が死んだ年齢である。来年には恐ろしいことに50歳になってしまうのである。
 世間ではどういう定義になってるか知らないけど、私自身からすれば50歳なんてものはあきらかにジジイだ。「中年」を通り越して「初老」だ。
 そんなジジイが二人寄って「最近のオタクは」とか「マンガやアニメは」とか「萌えは」とか語るっていうんだから、こりゃどう見てもみっともない。少なくともダンディなモテ系オヤジが絶対にやらない企画であることは確実である。
 でもねぇ、私としてはこの対談企画、わりと気に入っているんだよね。そういう「みっともない」ところが。
 オタク文化は現在進行形の文化なんだから、そりゃその最前線は「14歳」だと思うわけ。いま現在14歳ぐらいのマンガやアニメのファンがいる位置が、オタク業界の最前線であり「いちばん面白くて活気のある場所」でしょ。間違いなく。
 だから、オタク系の評論とか発言というのは総じて「いかにオレは14歳の心を失ってないか」というイノセンス合戦になりがちなんだよね。政治的な発言にしても、作品論にしても「子どもの頃や読者としての瑞々しい感性を失わず」「いま、もっとも新しいムーヴメントを提示する!」とかね。
 でも、申し訳ないけどそういうの、あんまりカッコいいとは思えなくてねぇ。そういうスタイルも20代前半まではアリだと思うんだけどね。
 30超えたらなんというか身体性というか、「年齢積んだだけのナニか」って欲しいじゃない?無理やりに若ぶったり「最近の作品もフォローしてます」みたいな媚びた物言いじゃなくて、「オタクが枯れると言うのはこういうことだ!」というの、見せたいじゃない?あえて頑固ジジイという役割を引き受けて、「最近の作品なんかわからん!昔のは良かった!」みたいな暴論吐き散らかして、ちゃんと悪役だって引き受けてあげたいじゃない?
 少なくとも私は「そういう大人」になりたいと思う。いつまでも若者や若者文化にすがるのはみっともないと思うし、理解されようとか誤解されたくないと足掻くのはもっとカッコ悪い。
 オトナと言うのは「誤解を引き受ける」覚悟だと思うよ。「お前らがダメにした」と言われたときに「そうかもしれない。じゃあお前ら若い奴が頑張れ」って返して、でも心の中ではまだまだやる気満々の状態。それが私の考える「したたかな大人」だ。
 というわけで、この本の中には「したたかな大人(見習い)」の物言いがいっぱい入っている。まだ(見習い)だから、時々本気で話したりムキになったりしてるけど、ま、大人ってそんなもんでしょ。
 私は「オタクが大人になる」というのは、こういうことだと思うんだ。
 まだ若い君たちも、カッコいい我々を見習って、ぜひ「大人のオタク」になりなさい。
 以上。

http://putikuri.way-nifty.com/blog/2007/05/post_0453.html

 大人と子どもの違い:
 「留保のない生の肯定を!」と叫ぶのが(以下略
 肯定する側が大人。
 否定しるのは(以下略