"「多様性を認める社会」と「すべてのヒトが幸福であることを保証する社会」は両立しない。説。"

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sivad/20051123%23p2

というか、同時に「多様性を認めない社会」と「すべてのヒトが幸福であることを保証する社会」も両立しません。

何故ならば、「幸福」を一義的に決定できないからです。逆に言うと、両立させるには「幸福」を誰かが一義的に決定し強制しなくてはならないわけです。

つまり「すべてのヒトが幸福であることを保証する社会」というもの自体が論理的には厳しいわけで、「できるだけ多くの人が幸福になる社会」ぐらいにしといたほうがいいんでしょうね。

「多様性を認める、多民族的・寛容的社会」
と、
「幸福を教条的に定義し、教条的な幸福を構成員に強要する社会」
が相容れないのは別におかしい話ではない。
だいたい、総称命題は数学を離れて成立することがあるのかね。

一定の枠内で行動の自由と、ほぼ無制限な内面の自由を与え、構成員から税金を徴収し、主として暴力からの自由を保障する。それが精一杯じゃないのかな。

 と、マジでかいているけれど、つられちゃったよクマー。

 まず、「幸福」の定義を聞くべきであった。幸福が未定義である以上、命題の真理値なんて論理的に導き出せる訳が無い。