生存権のWikipedia

生存権社会権に属する。したがって、一般的には上述の定義のように国家に対する請求権(社会権)の意味合いが強いと認識されている。ヴァイマル憲法下の生存権も請求権として認識されていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%AD%98%E6%A8%A9

 社会権という意味合いの権利

しかし、それは生存権自由権的側面を否定しない。現在では生存権社会権であると共に自由権でもあるという複合的な性質を有すると考えられている。具体的にいえば、人が現状から最低限度を下回るような立法がなされた場合には当該の人は生存権自由権的側面を侵害されたとしてその立法の合憲性を争うことができる。また、請求権的側面からすれば、自らの現状が最低限度の生活を下回る、として国に対してその原因の立法を違憲を理由として改廃するよう求めることができる。

 自由権としての側面

国が生存権を保持するように定められている義務を怠った場合、立法の不作為を確認する訴訟を起こすことが考えられる。しかし、現状の訴訟手続上、立法の不作為を確認する訴訟形態がないことから、また、具体的な最低限度の水準を裁判所が決定することが可能かどうかという問題などがあり、訴訟において確認を争うことは難しいとされている(通説)。

また、さらに進んで立法を義務づけする訴訟が起こせるかどうかという問題もある。これは立法府が立法を懈怠している場合に早急な問題の解決を求めうるとして支持されるものである。しかし、これを認めるとあたかも司法府による立法となり、三権分立における議会(日本では国会)の立法権を侵害する可能性が高いことから、否定するのが多数説である。

判例では、憲法25条はあくまで国の責務をいわばスローガン的に示したものであって、国民には憲法に基づいて裁判上の救済を求める具体的な権利はないとする説-プログラム規定説-に近い(朝日訴訟最高裁判決、堀木訴訟最高裁判決など)。もっとも、判例憲法25条による直接請求の道を残しているため、純然たるプログラム規定説とは言えない。他に憲法上は抽象的な権利に止まるが、具体化する立法(法律や政令、省令など)によって具体的な権利が発生すると解する説(抽象的権利説)、憲法の条文の文言自体が充分に具体的であり、他の立法を要しないと解する説(具体的権利説)がある。学説の多数説は抽象的権利説である。

 プログラム規定説

また、生存権は後国家的人権であるという性質が指摘されることがある。それは国家が発生して始めて認められる権利であって国に対して請求する権利(社会権すなわち請求権)だからである。しかし、前述のように生存権には自由権的側面もあるから、この指摘は生存権の一面のみを捉えたものであるとも考えられる。

プログラム規定説

プログラム規定説(-きていせつ)とは、憲法の特定の人権規定に関して、形式的に人権として法文においては規定されていても、実質的には国の努力目標や政策的方針を規定したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではないとする考え方。この考え方に立てば当該法文に裁判規範性はない。生存権や教育権などで問題になる。

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