"「萌え」についての断章"

http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/004000.html

http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/

 僕が現時点で考えられるのは、読者の「読み」の多様性をよびこむ表現様式としての「萌え」的な表現という理解です。その「読み」が東のいうようにデータベース的なものかどうかわかりませんが、少なくともネット的な多(非)中心で均質な情報空間の経験は影響している気がします。メディア・ミックスの進展とオリジナル性の溶解は、ネットとの相互影響で「読み」の意味や価値を変えているのではないかと思うし。作品としての統合性よりも、情報の断片として受容し同時に再構成するような情報消費のありようです。

また相田裕『GUNSLINGER GIRL』の表現作法上の奇妙な「稚拙さ」(まるで海外のマンガ好き作家が一生懸命日本マンガを模して描いたような)は、おたく系文化におけるマンガの優位性が崩れ、作法の伝承にも断絶がおこり、違う文脈からきてイチからマンガ作法を習得するような事態が、すでに商業マンガにあらわれていることを意味するかもしれません。