福井健策『著作権とは何か』の感想の感想

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/chosakukentohananika2.html

最大の問題は、文化の問題と法律の問題が混在してしまっていることである。

たとえば、『マンガと著作権』のp.57〜58でパロディと模写と盗作の話を竹熊がしているのだが、竹熊はここで画風の確立の話、いわば「作風」の話と、盗作という次元の違う話を混在させてしゃべっている。先ほどもふれたが、福井は『著作権とは何か』のなかで「パスティーシ(作風の模倣)」という項をたてて「作風は真似てもよいということで、この問題をはっきり切り分けている。

>アイデアには著作権はない
>日本において、パロディの文化的な線引きは法的にはほとんど意味をなさない。

蛇足だが、シンポジウムで、法的に正確で、するどい論点整理をおこなっているのは、終始一貫して夏目房之介である。つねに文化的な問題との混同されてくるようなこみいった状況になってくると、夏目がそのあたりをビシッと正している。
 たとえば、p.59〜61あたりでいしかわあたりが、思いを込めて撮った写真だから、ありきたりのフォトライブラリーをつくっても解決しねえよという話をしているときに、「いいですか? つまり、マンガ全体の中で、絵画にしろ写真にしろ、そのまま使っちゃうっていうことね、これは法律的にまずいんですよ」(p.61)とぴしゃりとやる。
 また、文化の継承行為として模倣ということがあるんだということを一般的に認め、パロディもその文化的継承の行為だろうということをいいつつ、そういう文化の問題と法律の問題は「分けて考えるべきです」とはっきり線引きする。

 法制論と倫理、どうであるかどうあるべきか、この辺をずらして議論するとループして議論が白熱する。餓狼伝説の軸腺ずらし。
 前にも記述したけれど、(主流である)マンガに必要な投資は年々増大しており、そのリスクを誰が負担するかは議論の対象になるかもしれない。コミックバンチでは、ある程度出版側が負担することにした(けれど、実際はヘタレっぽい)が、追随する社はなさそう。