戦争/セックル に関して、些細なことでも否定する人間

http://www.geocities.jp/judge13th/o18/gunjyou.html

 戦争に関する話題になると、些細なことでも否定しようとする人間ってのは、少なからずいる。彼らが何でそうしているかというと、それだけ、その「平和主義」を守りたいからだ。「戦争が是か否か」という議論が「発生すること」自体が、「戦争を肯定する」という結論を生み出す「可能性」がある以上、彼らはそれを否定しようとする。

議論それ自体に反対する人間が存在する理由。筆者が同意しているかどうかは別問題。


http://blog.goo.ne.jp/kamimagi

 A級腐偏の心理 - 正しい性教育って何。
http://d.hatena.ne.jp/kachira/20050728/p2
(via:カマヤンの虚業日記)
 ま、別にやりすぎても問題じゃないとは思う。
 突っ込みどころはあるだろうけど。
 性の話をされて怒る親の方がダメかと。早かれ遅かれ少女は女になるのです。

URL追加&改行追加

 安全なセックルを指導することは、セックルそのものを肯定する結論を生み出す可能性がある以上(以下略。

 要するに、教えることによって発生するリスクと、教えないことによって発生するリスクと両方存在するのがこの世の中なのだ。0:10というのはありえない。たいがい、3:7くらいで、これを7:3の法則と呼ぶ(と今考えた)。ちょっと耳年増かもしれないけど、変に妊娠したり、エイズに罹っちゃうよりいいよね、と考える人と、そうは思わない人がいるわけだ。

 うーん。
 安全なセックル/危険なセックル →そもそもセックルが悪い
 喫煙/分煙 → そもそも喫煙自体が悪い/喫煙は正しい
 正当な武力行使/不当な武力行使 →そもそも戦争が存在しなければ
 安全な運転/危険な運転 → そもそも自動車がなければ

 ああ、そもそも、が無意味なだけか。