意図と行為と結果

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ただ、ここで注意しなければならないのは、抵抗する能力のない高齢者に対して虐待行為を行った犯罪者との対照である。弱者に対して虐待を行った者は性的であれ、非性的であれ、子供に対してであれ老人に対してであれ、社会から危険人物のレッテルを貼られることには説得力がある。しかし、なにゆえ、年齢や性的というところだけに注目し、殺人や肉体的精神的被害の方に注目しないのか。

 時と場合とフィーリングによって、「意図と行為と結果」のどれを重視するかはフレキシブルに変更されるのは不思議でないと思うのだが。
 年間、交通事故で一杯人が死んでいるからといって、こういう殺人が正当化されないのも、喫煙が正当化されないのも、別に不思議に思わない。もし、核戦争とか先進国同士の全面戦争がおきれば、数千万人単位の死者が発生するからといって、交通事故死が正当化されないのも、不思議には思わない。
 ともあれ、特定の年令と性別に対する犯罪はより邪悪なものとされ、邪悪と知りつつそういう行為を働く者、そういう行為が邪悪だと学習できない者、はどちらにしても社会から排除される傾向にある。