赤松健はニュータイプか

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赤松健『まれに「天然で好きなものを描いて、しかも面白い」作家もいるようです。これを、便宜上「ニュータイプ」と呼んでみましょう。この世には、天然の「ニュータイプ」系と、後付けの「強化人間」型の作家がいるというお話をしました』

初めにこういった「壁」を設けてしまい、それを「突破」する。本来そういった突破にはニュータイプが必要なのだが、これまで作り上げてきたおれのシステムは、もうそれが出来るはずだ。と、赤松健はそう思ったのではないだろうか。これまでの言動を見ていると「無理をしない」というイメージが赤松にはあるが、この「ネギま!」には挑戦が目立つ。

いつのまにかニュータイプの定義が変わっているような気もするが、流して。

ザマでローマ軍を率いたスキピオを評価する声は高い。実際、相当に有能だった人物ではあると思う。しかし、私はハンニバルが敗れたのはスキピオという一将領ではなく、ローマというシステムであったと思う。どんなに撃退しても次々に天才……とまではいえぬが十分に有能な人物がやってくる。天才の発想は凡人にはできないが、天才がやったことを真似することならできる。それでも、凡人ならばただ表面だけを真似したりして、むしろそのやり方の創始者でこれをよく知る天才には格好の餌食になってしまうだろうが、天才未満だが凡人以上であるローマの将軍たちは徐々にハンニバルの戦術を単なる真似ではなく、自軍の特性に合ったように取り入れていく。そして総仕上げに出てきたのがスキピオである。

この「ローマシステム」が赤松健の作り上げたシステムではないだろうか。

 ローマシステムは、既に存在したもので、誰かの構想で作り上げられたものとは違うように思える。どちらかというと、参謀本部システム、みたいなものかな。

http://homepage3.nifty.com/ryuota/preussen.html

問題は、著しく規模がふくれあがった軍隊をどうやって動かすか、であった。フランスの場合、ナポレオンという一人の「天才」がそれを担っていた。一方、シャルンホルストは「組織」と「教育」を重視した。彼は軍の最高機関として創設した軍事省の中に作戦事務を専門とする「参謀部」を設け、さらに陸軍大学校をつくって参謀を育てた。シャルンホルストは1813年に死ぬが、新生プロイセン軍はナポレオン撃破の立役者となり、その理論の正しさを証明することになる。

ナポレオンがニュータイプだったとすれば、参謀本部を結成したシャルンホルストもny(r、いや、言葉の定義はどうでもいいか。諸般の事情により、映画も、アニメも、RPGもエロゲも、そしてマンガも大規模化してきた。組織によって才能を補うのは時代の趨勢、といったところだろう。マンガを、シナリオと作画にわける古典的なシステムでなく、キャラクター造形とエピソードの蓄積という二次創作的、エ(略 的手法を導入したのが新規なところかな。

各国とも参謀本部の制度をまねしたため、優位さが失われたのである。その一方で、ドイツでは「参謀本部万能」の風潮がはびこるようになった。そして1914年のバルカン危機の際には、参謀本部が長年練ってきた計画だから、という理由だけで何の関係もないベルギーに突入して世界大戦を招き、破局をむかえたのである。